今日、自分の原点を考えさせられる出来事がありました。
日曜日、家で英語のテストGREの勉強をしていたところ、ビルマ人の友人から電話がありました。
「近所のビルマ人が高熱を出して苦しんでいるんだけど、メータオ・クリニックは日曜で閉まっているし、見にきてくれない?」
今回のメータオ・クリニックでの滞在では患者さんは全くみていませんでした。一応持ってきた聴診器と体温計、患者さんの家に行く前に薬局に寄り、パラセトモール(アセトアミノフェン系の薬)を買い、患者さんの家に。
家は街からはずれた場所にたたずみ、竹で作られた簡素の家。床も竹ででき、いかにも床が抜けてしまいそうなおんぼろな佇まいでした。
小さな竹の家で横たわっていた30代の男性。普段は家の前の畑で農業していますが、5日間の高熱のために仕事も休み家でずっと寝込んでいたそうです。5人の家族で小さな竹の家に住む患者さん。タイIDカードは持っておらず、不法移民のためタイの病院には受診できません。
ビルマ語で久しぶりに診察をし、患者さんと話すこと数分。身体所見に明らかな異常はなく、熱は微熱で37度台。夜になると40度近くに熱が上がるとのことから、薬を渡し、改善するようでなければ、明日クリニックへ受診するように勧めました。
この患者さんの一連を通して、自分の心がもやもやしてきました。
あっ、私この気持ち忘れかけていたんじゃないかと思いました。
その気持ちは私の原点。世の中の不平等についての憤りです。
この患者さんだけでなく、この国境沿いにはたくさんのビルマからの難民、移民がいます。その多くが貧しく、竹などできた粗末な小さな家で、家族ぎゅうぎゅうになって住み、タイの警察におびえながら、低賃金で働いています。仕事を休めば首になるかもしれない。お金が入らず食べていけない。病院に行く前にタイの警察につかまるかもしれない。
街を巡回するソンテオという格安の乗合バスに乗るビルマの人々。タイのIDカードがないだけで、バスから降ろされ、タイの警察から賄賂を要求され、はたまた不法移民として強制帰還させられる。
世の中はどうして不平等なのだろう。患者さんの憂慮した顔。
何もできない自分が悔しくてたまらず、歯を食いしばった3年前。
私がなぜ国際協力の世界に飛び込んだのか振り返らせられる出来事でした。