2012/11/27

牛を売るか?売らないか?

この1か月で、まるまる英語の本、2冊を読みました。しかも開発学の授業の本なので、奥が深い。米国人のクラスメートも「Dense! (難解だ!)」とみんな言っています。

2冊目の本は、まだ読みやすく、スタンフォード大学の教授のJames Ferguson氏が書いた「The Anti-Politics Machine」という本。Amazonはこちら→The Anti-Politics Machine

この本はアフリカ南部のレソト王国という国で、1970年代後半に世界銀行とCanadian International Development Agency(CIDA)というカナダ政府の国際開発部が始めたプロジェクトの話。

何億というお金を投入し、家畜業の改善、地方分権化を図り、レソト王国内の市場経済の促進をしようというもの。

はじめは軌道に乗ったかと思われたプロジェクト。しかし、プロジェクトが終わる5年間の間に様々なことが起こります。

経済の循環がうまくいかず、いつまでたっても貧困で、教養もなく、家畜業を効率的にやること(Livestock Development)が重要だと思った世銀スタッフとCIDA。

プロジェクトサイトの郡に牛用の牧場を立て、そこに村人の牛を預けると、訓練を受けたローカルスタッフが牛の成長を改善させ、その改善された牛は村人のもとに帰ってき、村人はその牛をマーケットへ高価格で売り出す。

効率的に健康な家畜を育てなければ、牛の価値は下がるし、マーケットに売り出すこともできない。

この理論を世銀、CIDA、政府から受けた村人たちは、「わかりました。協力します!」と言い返事はよいものの、誰も牛を預けにこない。やがて牧場の草を食べる牛はほとんどいなくなり、牧場の草は伸びきって、とても牛が歩けそうにもないし、肝吸虫が牧場にはたくさんいるという噂までたつ始末。

このことを不思議に思った筆者(人類学者)はなぜ人々が牛を渡さないのか調査にでます。

そのインタービューの様子がこちら↓

筆者:もし誰かが牛をあげるとあなたに言ったら、牛をもらいますか?

村人:もちろん。もらいます。

筆者:じゃあ、牛をあなたはもらったこととしますね。その数週後、まだ別の人が来て、もしあなたの持っている牛を高い値で買いたいと言ったらどうしますか?

村人:え?その人は私の牛が欲しいのですか?

筆者:そうです。あなたの牛を高値で買いたいと言っています。

村人:それなら、私は売りません。売らないと思います。

筆者:どうして?

村人:牛は私のものです。わかっています。私は牛を売って、お金を得るべきと。でも牛を売るのは特別な時しか売りません。

筆者:どうして?高額な値で売ってほしいと頼まれているのに?

村人:うーん・・・。

筆者:牛を売ることはできないんですか?

村人:私は決して牛を手放すという選択はしないと思います。だってそれは私のものだから。

こういうやりとりが何度も続きます。筆者は気づいたのです。旱魃に襲われたときも、政府は牛が死ぬ前に牛を早く売り、お金に変えなさいと村人に通告しても、誰も売ろうとしなかったのです。

なぜなら、牛は村人(特に男性)にとってプライドだったからなのです。それはお金には変えられないもの。たとえ牛が弱っていて、死にかけでも牛の数は、彼らのプライドとしてそのコミュニティー内で認識されていたからです。

じゃ、牛を売って、たくさん牛を買えばいいじゃないの?と思うかもしれないですが、彼らの文化、社会規範が私たちの常識よりも上回り、そうはさせないのです。

ブログで簡潔に説明するのが、難しいのですが、よかれと思ってやっている西欧の支援が村人たちの文化を蝕むことがあります。最後には管理能力の低い国で、地方分権を導入すること自体が、さらに利権の奪いあいを高め、プロジェクトの運営どころではなくなってしまいます。

筆者はこの著書で解決方法を述べていませんが、開発援助の世界ではこんな事例が山ほどあるとエピローグで語っています。現地の貧しい人がなぜ開発がうまくいかないのかを知っていたのに、そこを援助団体は見逃していたのです。

私もメータオ・クリニックにいた時に、患者さんがマラリアに罹るのはマンゴーを食べたせいだからだと信じている人が多かったのを不思議に思っていました。よく途上国でマラリアの蚊よけの蚊帳を漁業用のネットとして使っていることが失敗例として出されています。

牛の話とは関係ないですが、こういうルーツを調べたらなんだか、マラリア対策や他の問題ももっと改善したりしないかなと思います。

2012/11/23

Happy thanksgiving!

今日はアメリカ国民のもっとも重要ともいえるThanksgivingの日です。学校は休み。去年と同様、ロータリークラブのホストファミリーの家にお邪魔し、ご飯を食べてきました。今年も動けないほど、たくさんおいしいものをいただきました。


このThanksgiving休みは今週日曜まで。この間にPhDに関係する奨学金の書類(量がものすごい多い!)を書いたり、読み切れてなかったReadingを読んだりこの休日に大変助かっています。

修士課程卒業までもう1か月を切りました。あとは期末テストと残りの宿題を片づけるのみ。帰国まではあと1か月です。その間になんとTOEFL(これは奨学金の書類のひとつ)とGRE(11月上旬に受けた点数が2点足りなかった・・・)を受けます。PhDは出願しました。12月のGREスコアがよければもう一度提出し直そう思います。

ゴールはもう目前。最後の最後まで全力を注いでMPH取得まで走り切ります!

2012/11/10

チュレーン大学公衆衛生熱帯医学校100周年記念

久しぶりにブログ更新です。論文の最終提出や授業のプレゼン、またタイトルからお分かりになるように本日学校の100周年記念があったので、その学生ポスタープレゼンの準備とずっと忙しい日々が続いていました。しかもまだPhD進学の書類準備とGREの勉強しています。

今日は私が所属する公衆衛生熱帯医学校の100周年記念式典がありました。この大学の公衆衛生学校は米国で実は一番古い歴史のある学校です。

1800年代に米国南部に蔓延していたマラリア、コレラ、黄熱の研究をするための州医学校として設立されました。

そこから派生し1912年に設立された今のチュレーン大学公衆衛生熱帯医学校です。アフリカのアンゴラで臨床をし、ロンドン大学公衆衛生熱帯医学校で勉強した米国人医師がこの学校の設立者です。そしてMPHができたのは1947年です。今のチュレーンのうたい文句は「チュレーンは国際保健が国際的に注目される前からGlobal Healthをやってきました」。なのでA Century of Commitment to Global Healthが大きくいたる看板に書かれています。

大学周辺では100周年記念のポスターが並びます。

校舎にも100周年の看板。

学校玄関にもポスターがずらり。

こちら学校ロビー。大きな100周年垂れ幕がかかっています。

ポスタープレゼンの参加賞として100周年オリジナルTシャツをゲットしました。そして今月号のAmerican Journal of Epidemiology(疫学の米国雑誌)はチュレーン大学100周年の特集です。

明日も式は続き、エモリー大学、米国疾病予防センター(CDC)、ハ―バード大学、ロンドン大学公衆衛生熱帯医学校の学校長などのゲストレクチャーがあります。盛り上がりそうです。米国の大学院で勉強していると他の米国の公衆衛生学校のゲストレクチャーに参加できる機会もよくあります。

まあ、なんてタイミングに私はチュレーンで勉強しているのかと感慨深いです。そして実は私の30歳の誕生日だったりします。時間が経つのは早いです。

20代は本当にいろんなことに挑戦し、親元から離れ、上京して就職し、タイ・ビルマ国境に行って医療ボランティアをしたり、長崎大学で熱帯医学を勉強し、最後には米国の公衆衛生大学院で勉強と、実に人生は予測がつきません。猪突猛進で突き進んだ20代でしたが本当に楽しかったです。子どもの頃からの夢が目標へと変遷していった20代。

30代はできれば博士課程に進学し、この分野を極めて専門家として自分が大好きと思える仕事をしたいです。願わくば40歳になったときに子ども二人くらいを育てながら、旦那さんとどこかの途上国で働けてたら最高だなぁと思います。少子高齢化に関心があるので結婚、出産をし日本社会へも貢献したいなと思います。

30歳を無事迎えられたのも、いつも支えてくださる周りの皆さん(あまりにも多くの方に支えられて今を生きていると感じます)のおかげです。本当にありがとうございます!