この1か月で、まるまる英語の本、2冊を読みました。しかも開発学の授業の本なので、奥が深い。米国人のクラスメートも「Dense! (難解だ!)」とみんな言っています。
2冊目の本は、まだ読みやすく、スタンフォード大学の教授のJames Ferguson氏が書いた「The Anti-Politics Machine」という本。Amazonはこちら→The Anti-Politics Machine
この本はアフリカ南部のレソト王国という国で、1970年代後半に世界銀行とCanadian International Development Agency(CIDA)というカナダ政府の国際開発部が始めたプロジェクトの話。
何億というお金を投入し、家畜業の改善、地方分権化を図り、レソト王国内の市場経済の促進をしようというもの。
はじめは軌道に乗ったかと思われたプロジェクト。しかし、プロジェクトが終わる5年間の間に様々なことが起こります。
経済の循環がうまくいかず、いつまでたっても貧困で、教養もなく、家畜業を効率的にやること(Livestock Development)が重要だと思った世銀スタッフとCIDA。
プロジェクトサイトの郡に牛用の牧場を立て、そこに村人の牛を預けると、訓練を受けたローカルスタッフが牛の成長を改善させ、その改善された牛は村人のもとに帰ってき、村人はその牛をマーケットへ高価格で売り出す。
効率的に健康な家畜を育てなければ、牛の価値は下がるし、マーケットに売り出すこともできない。
この理論を世銀、CIDA、政府から受けた村人たちは、「わかりました。協力します!」と言い返事はよいものの、誰も牛を預けにこない。やがて牧場の草を食べる牛はほとんどいなくなり、牧場の草は伸びきって、とても牛が歩けそうにもないし、肝吸虫が牧場にはたくさんいるという噂までたつ始末。
このことを不思議に思った筆者(人類学者)はなぜ人々が牛を渡さないのか調査にでます。
そのインタービューの様子がこちら↓
筆者:もし誰かが牛をあげるとあなたに言ったら、牛をもらいますか?
村人:もちろん。もらいます。
筆者:じゃあ、牛をあなたはもらったこととしますね。その数週後、まだ別の人が来て、もしあなたの持っている牛を高い値で買いたいと言ったらどうしますか?
村人:え?その人は私の牛が欲しいのですか?
筆者:そうです。あなたの牛を高値で買いたいと言っています。
村人:それなら、私は売りません。売らないと思います。
筆者:どうして?
村人:牛は私のものです。わかっています。私は牛を売って、お金を得るべきと。でも牛を売るのは特別な時しか売りません。
筆者:どうして?高額な値で売ってほしいと頼まれているのに?
村人:うーん・・・。
筆者:牛を売ることはできないんですか?
村人:私は決して牛を手放すという選択はしないと思います。だってそれは私のものだから。
こういうやりとりが何度も続きます。筆者は気づいたのです。旱魃に襲われたときも、政府は牛が死ぬ前に牛を早く売り、お金に変えなさいと村人に通告しても、誰も売ろうとしなかったのです。
なぜなら、牛は村人(特に男性)にとってプライドだったからなのです。それはお金には変えられないもの。たとえ牛が弱っていて、死にかけでも牛の数は、彼らのプライドとしてそのコミュニティー内で認識されていたからです。
じゃ、牛を売って、たくさん牛を買えばいいじゃないの?と思うかもしれないですが、彼らの文化、社会規範が私たちの常識よりも上回り、そうはさせないのです。
ブログで簡潔に説明するのが、難しいのですが、よかれと思ってやっている西欧の支援が村人たちの文化を蝕むことがあります。最後には管理能力の低い国で、地方分権を導入すること自体が、さらに利権の奪いあいを高め、プロジェクトの運営どころではなくなってしまいます。
筆者はこの著書で解決方法を述べていませんが、開発援助の世界ではこんな事例が山ほどあるとエピローグで語っています。現地の貧しい人がなぜ開発がうまくいかないのかを知っていたのに、そこを援助団体は見逃していたのです。
私もメータオ・クリニックにいた時に、患者さんがマラリアに罹るのはマンゴーを食べたせいだからだと信じている人が多かったのを不思議に思っていました。よく途上国でマラリアの蚊よけの蚊帳を漁業用のネットとして使っていることが失敗例として出されています。
牛の話とは関係ないですが、こういうルーツを調べたらなんだか、マラリア対策や他の問題ももっと改善したりしないかなと思います。
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