さっきまでNHKで放映された「マイケル・サンデル 究極の選択」大震災特別講義にくぎ付けでした。最近までマイケル・サンデル著「ハーバード白熱教室・講義録」を読んでいただけに大変興味深いものでした。
「東日本大震災でハリケーンカトリーナのときのように暴動がおきなかったのはなぜか?」
この質問私もアメリカ人の友達にされました。日本人がパニックにもならずに列をなして配給を待つ姿に感動したと言われました。
秩序を守るという美徳を持つ日本人。
日本はコミュニタリズム(共同体主義)を重んじる民族だからという参加者の声に私も納得してしまいました。島国という土地柄、基本、単一民族であるがために共同体を重んじる精神があるのではということ。家族も隣の人も、町に住んでいる人もどこかで血がつながっているかもしれないから自分だけがよければいいのではと思えない。
でもこの理由の裏側に何らかのみえない力で自分だけが勝手をしてはいけないという、倫理観を守らねばいけないという抑制が働いているからだともいえる気がします。それは日本の社会の風潮だったりするかもしれない。思ったことを自由に表現できないのは他者の目を気にしてしまう社会だからかもしれません。
反対に個人主義が明るみになったハリケーンカトリーナの災害(これから勉強するTulane大学はカトリーナがあったニューオーリンズにあります。災害援助に長けている大学)
貧しい地域であったことも含め、多民族で形成されるコミュニティーだけに他者の価値観がわからず不安が起き暴動につながったのではという意見。また私が思うにはあのときのブッシュ政権の対応が暴動に拍車をかけたというのも大きな理由だと思います(米国政府は震災後数日経過して援助のオペレーションをし対応に遅れがあったと言われています。堤未果氏著「貧困大国 アメリカ」に詳しく書かれています)。
講義の最後にマイケルさんが投げかけた「共感は国境を超えるか?」
意訳しますが、ジャン=ジャック・ルソーは「人々は他国の災害を共感することはできない」と説いたのに対し、果たして今もそうなのかということをマイケルさんは投げかけました。
私の答えはノーです。実際世界各国でPray For Japan(日本のために祈りを)の声が上がっているのを聞いています。私のFaceBookやE-mailへ地震直後、世界各地にいる友人達から励ましの声をもらいました。貧しい国でも、私がいたタイとビルマ国境の町メソトでもこの地震のためのチャリティーが開かれました。
グローバリゼーションが広がる現代に共感は確実に広がっていると私は信じています。
そして世界からの温かいエールに日本が元気づけられていること、世界へ発信していきたいです。
最後にいつだったかUNHCRのポスターか何かに書かれていた言葉。
"Sympathy can not help people, but without sympathy we can not help people!"
(共感は人々を救うことができないけれど、共感なしに私たちは人々を救えない。)
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