さっきまでNHKで放映された「マイケル・サンデル 究極の選択」大震災特別講義にくぎ付けでした。最近までマイケル・サンデル著「ハーバード白熱教室・講義録」を読んでいただけに大変興味深いものでした。
「東日本大震災でハリケーンカトリーナのときのように暴動がおきなかったのはなぜか?」
この質問私もアメリカ人の友達にされました。日本人がパニックにもならずに列をなして配給を待つ姿に感動したと言われました。
秩序を守るという美徳を持つ日本人。
日本はコミュニタリズム(共同体主義)を重んじる民族だからという参加者の声に私も納得してしまいました。島国という土地柄、基本、単一民族であるがために共同体を重んじる精神があるのではということ。家族も隣の人も、町に住んでいる人もどこかで血がつながっているかもしれないから自分だけがよければいいのではと思えない。
でもこの理由の裏側に何らかのみえない力で自分だけが勝手をしてはいけないという、倫理観を守らねばいけないという抑制が働いているからだともいえる気がします。それは日本の社会の風潮だったりするかもしれない。思ったことを自由に表現できないのは他者の目を気にしてしまう社会だからかもしれません。
反対に個人主義が明るみになったハリケーンカトリーナの災害(これから勉強するTulane大学はカトリーナがあったニューオーリンズにあります。災害援助に長けている大学)
貧しい地域であったことも含め、多民族で形成されるコミュニティーだけに他者の価値観がわからず不安が起き暴動につながったのではという意見。また私が思うにはあのときのブッシュ政権の対応が暴動に拍車をかけたというのも大きな理由だと思います(米国政府は震災後数日経過して援助のオペレーションをし対応に遅れがあったと言われています。堤未果氏著「貧困大国 アメリカ」に詳しく書かれています)。
講義の最後にマイケルさんが投げかけた「共感は国境を超えるか?」
意訳しますが、ジャン=ジャック・ルソーは「人々は他国の災害を共感することはできない」と説いたのに対し、果たして今もそうなのかということをマイケルさんは投げかけました。
私の答えはノーです。実際世界各国でPray For Japan(日本のために祈りを)の声が上がっているのを聞いています。私のFaceBookやE-mailへ地震直後、世界各地にいる友人達から励ましの声をもらいました。貧しい国でも、私がいたタイとビルマ国境の町メソトでもこの地震のためのチャリティーが開かれました。
グローバリゼーションが広がる現代に共感は確実に広がっていると私は信じています。
そして世界からの温かいエールに日本が元気づけられていること、世界へ発信していきたいです。
最後にいつだったかUNHCRのポスターか何かに書かれていた言葉。
"Sympathy can not help people, but without sympathy we can not help people!"
(共感は人々を救うことができないけれど、共感なしに私たちは人々を救えない。)
2011/04/16
2011/04/14
桜・井の頭恩賜公園にて
今日親友と桜を見に行ってきました!
東京にトータル5年は住んでいるのですが初めて吉祥寺の井の頭恩賜公園に行きました(私の出身は大阪市です)。
桜。なんともまぁ美しかった。
桜を来年みることはできないんだろうなと思いながら堪能してきました。再来年ももしかしたら卒業式迎えるために(米国の卒業式は5月)もしかしたらニューオーリンズにいる確率は高いし。卒業した後も日本で働くのかはたまた海外で働くのか不明だし。
このブログを書き始めた一番の理由は無事にチュレーン大学へ入学、卒業できるように自分を奮い立たせるために書いています。もうひとつの理由は今後米国大学院へいきたいけど情報収集したい、MPHを海外でとるってどんなこと?、国際保健って?等興味がある方へ情報発信していけたらなと思っています。私も受験のときはたくさんのブログやサイトを検索しましたが、米国のMPHを目指す方のブログがみつからなかったためです。
時間があるときに、受験、入学までの流れや、TOEFLの試験、奨学金などについて自分がどのように取り組んできたか皆様のご参考となるようにお伝えできればと思っています。
卒業(2013年5月目標)までお付き合いいただけると嬉しいです!
東京にトータル5年は住んでいるのですが初めて吉祥寺の井の頭恩賜公園に行きました(私の出身は大阪市です)。
桜。なんともまぁ美しかった。
桜を来年みることはできないんだろうなと思いながら堪能してきました。再来年ももしかしたら卒業式迎えるために(米国の卒業式は5月)もしかしたらニューオーリンズにいる確率は高いし。卒業した後も日本で働くのかはたまた海外で働くのか不明だし。
このブログを書き始めた一番の理由は無事にチュレーン大学へ入学、卒業できるように自分を奮い立たせるために書いています。もうひとつの理由は今後米国大学院へいきたいけど情報収集したい、MPHを海外でとるってどんなこと?、国際保健って?等興味がある方へ情報発信していけたらなと思っています。私も受験のときはたくさんのブログやサイトを検索しましたが、米国のMPHを目指す方のブログがみつからなかったためです。
時間があるときに、受験、入学までの流れや、TOEFLの試験、奨学金などについて自分がどのように取り組んできたか皆様のご参考となるようにお伝えできればと思っています。
卒業(2013年5月目標)までお付き合いいただけると嬉しいです!
2011/04/13
まっすぐな気持ちで
今日1年ぶりに元上司(新人時代の師長さん)と食事に行きました。シニアの海外協力隊でエクアドルより先月戻られた師長さんは相変わらずパワフルです。話をしていると新人時代の私に戻るような気がします。
最近思うこと。まっすぐな気持ちで生きることが一番大切なんじゃないかと思うことです。
私が大学院に行くことについて「なんかキャリア志向に走っている人だなあ」と思われるかもしれませんが、自分のしたい仕事を専門家として仕事するためには勉強しなきゃはじまらないと思ったから大学院に行くことを決めました。
2007年7月~2009年5月までタイにあるメータオクリニックという診療所で国際医療ボランティアスタッフとして活動していました(活動時のブログ:きょうのメータオhttp://maetaostaff.269g.net/)
一言で表現することは難しいのですが、タイにいたときの私は子供のころのように「めっちゃ楽しい!」と現地の人や町、食べ物すべての瞬間に魅了されていたような気がします。もちろんそりゃ何もうまくいかず落ち込んだり泣いたりすることもありましたが本当に忘れられない2年となりました。
子どもの時から信じて夢見てきた国際協力をもっと追究して、プロフェッショナルとして働きたいと強く思わされたのはタイでの活動があったからです。
そんな思いをもつことさながら、日本が地震と津波、原発という未曾有の危機に直面している中、渡米することは後ろ髪ひかれる思いではあります。
私が米国でできることは被災地で私が目で見て肌で感じたこと、日本の今を伝えることだと思っています。日本は近年若者が内向き傾向にあると新聞では伝えており、今年の米国留学する学生の数は過去最低だと読みました。震災によりその傾向がさらに加速するのではと思ったりしています。
「日本?そんな国あったっけ?」と言われないよう世界の片隅でも、細々とでも一日本人として国際貢献できる日本人になりたいな思っています。そしていろんな国でいろんな人と出会い笑顔になってみたい。
これは私の夢。
でも世間には形はさまざまですが、いろいろまっすぐな気持ちで毎日がんばっている人がいます。
私の病院の中。孫の笑顔を楽しみに、孫のおもちゃを買うために毎日定年後もパート職員として働くおばちゃん看護師。
避難所で生活する避難者が無事に暮らせるまで、避難所で自身もがんばり続けると言う岩手県大槌町の地元開業医の先生。
家庭をもち、また臨床勤務をしながらメータオ・クリニックを支えてくれるメータオ・クリニック支援の会のみんな。
海外のいろんな国で現地の人たちと笑いあい、青年海外協力隊隊員としてNGO職員として働く友達たち。
虐待を受けた子ども、家族の身寄りがいない子どものために施設で子どもたちと奮闘する私の親友。
みんなそれぞれ思いは違うけどまっすぐがんばる気持ちは一緒です。
誰かに評価されるから、よく見られたいからという気持ち、また評価されるのが怖いからという気持ち。そんなことはどうでもよくって、まっすぐな気持ちでがんばる人を認め、応援したい。もちろん私も無心で本当にやりたいことをがんばりたい。初心を忘れたらあかん!
師長さんに会ったこと、4月の桜はそんな気持ちを思いださせてくれます。
最近思うこと。まっすぐな気持ちで生きることが一番大切なんじゃないかと思うことです。
私が大学院に行くことについて「なんかキャリア志向に走っている人だなあ」と思われるかもしれませんが、自分のしたい仕事を専門家として仕事するためには勉強しなきゃはじまらないと思ったから大学院に行くことを決めました。
2007年7月~2009年5月までタイにあるメータオクリニックという診療所で国際医療ボランティアスタッフとして活動していました(活動時のブログ:きょうのメータオhttp://maetaostaff.269g.net/)
一言で表現することは難しいのですが、タイにいたときの私は子供のころのように「めっちゃ楽しい!」と現地の人や町、食べ物すべての瞬間に魅了されていたような気がします。もちろんそりゃ何もうまくいかず落ち込んだり泣いたりすることもありましたが本当に忘れられない2年となりました。
子どもの時から信じて夢見てきた国際協力をもっと追究して、プロフェッショナルとして働きたいと強く思わされたのはタイでの活動があったからです。
そんな思いをもつことさながら、日本が地震と津波、原発という未曾有の危機に直面している中、渡米することは後ろ髪ひかれる思いではあります。
私が米国でできることは被災地で私が目で見て肌で感じたこと、日本の今を伝えることだと思っています。日本は近年若者が内向き傾向にあると新聞では伝えており、今年の米国留学する学生の数は過去最低だと読みました。震災によりその傾向がさらに加速するのではと思ったりしています。
「日本?そんな国あったっけ?」と言われないよう世界の片隅でも、細々とでも一日本人として国際貢献できる日本人になりたいな思っています。そしていろんな国でいろんな人と出会い笑顔になってみたい。
これは私の夢。
でも世間には形はさまざまですが、いろいろまっすぐな気持ちで毎日がんばっている人がいます。
私の病院の中。孫の笑顔を楽しみに、孫のおもちゃを買うために毎日定年後もパート職員として働くおばちゃん看護師。
避難所で生活する避難者が無事に暮らせるまで、避難所で自身もがんばり続けると言う岩手県大槌町の地元開業医の先生。
家庭をもち、また臨床勤務をしながらメータオ・クリニックを支えてくれるメータオ・クリニック支援の会のみんな。
海外のいろんな国で現地の人たちと笑いあい、青年海外協力隊隊員としてNGO職員として働く友達たち。
虐待を受けた子ども、家族の身寄りがいない子どものために施設で子どもたちと奮闘する私の親友。
みんなそれぞれ思いは違うけどまっすぐがんばる気持ちは一緒です。
誰かに評価されるから、よく見られたいからという気持ち、また評価されるのが怖いからという気持ち。そんなことはどうでもよくって、まっすぐな気持ちでがんばる人を認め、応援したい。もちろん私も無心で本当にやりたいことをがんばりたい。初心を忘れたらあかん!
師長さんに会ったこと、4月の桜はそんな気持ちを思いださせてくれます。
2011/04/03
東日本大地震・岩手県大槌町
2011年3月11日午後2時47分。宮城県沖でM9.0の巨大地震が発生したくさんの尊い命を地震と津波がさらっていきました。
阪神・淡路大震災で被災した私はいてもたってもいられず3月11日からテレビ、新聞、インターネットにくぎづけとなり、どうにかして被災地に入るチャンスがないかとうかがっていました。そんな思いが通じてか、職場から1週間のお休みをいただき、最も津波の被害を受けた被災地のひとつと言われる被災地の岩手県大槌町へAMDAという緊急医療援助団体を通じて派遣されました。
大槌町は人口約1万5000人という小さな町です。人口の約40%の方々が漁業を営んでいました。
3月11日災害対策会議の最中に巨大津波が役場を襲い、町長、役場の方々の命ものともさらっていきました。そのため現在は生き残った役場の数名の方々によって避難所の運営等を行っていますが行政機能はほとんど停止していると言わざる負えない状態です。
倒壊した役場
4月1日時点での避難者数は2753人。遺体収容数は536人。行方不明者数は1051人(大槌町災害対策本部情報)。
新聞各社では大槌町を壊滅状態と報道していますが、壊滅状態という言葉だけではそのむごさを言葉では表現できません。私は過呼吸になりそうになりながら津波が襲ったその町をみてきました。海鳥たちの鳴き声。潮の匂い。町中に立ち込める腐敗臭。がれきの中で失ったものを探す町の人々。気がつくと私の眼から涙が溢れていました。
高台からみた大槌町
民家の上に漁船が乗っている様子
廃墟となった町
私たちは避難所のひとつである弓道場で地元の開業医の先生とともに診療を行ったり、弓道所近くの避難所や周辺に暮らす方々の家へ巡回診療を行いました。夜には避難所で当直も行いました。
地元の開業病院3院とも津波によって倒壊し、県病院の大槌病院でも被害を受け、その職員が地震発生後不眠不休で避難所等働かれていたようですが、その活動を休止し4月15日まで家の整理や身内の安否確認のためにお休みをとられ医療従事者が不足していました。
弓道所内の避難所では地震発生後20日目にして電気が通り、その数日後水も通りました。避難所では約200~300人近くの方々が身をひそめあって生活していました。日に何度もくる大きな余震を私も体験しました。まずはじめに地鳴りが聞こえ、避難所の大きな壁や窓が太鼓のように鳴り響き、まるで箱の中で私たちは揺らされているような感覚に陥りました。
外来では津波、地震による外傷で来る患者さんはおらず、ほとんど高血圧、糖尿病等の慢性疾患、風邪、花粉症などで受診を希望する患者さんばかりでした。お薬手帳が津波によって流され何の薬を飲んでいたかわからない人、埃っぽく寒い避難所で風邪をこじらせる人、慣れない共同生活で便秘になる人。
消灯後の真っ暗な避難所では咳の音があちこちから聞こえ避難所内に響きました。昼間に外来にきた患者さんが言った「周りの人を気にしてしまうから咳がしずらい」という言葉を思いだしました。
夜中3時「看護婦さん、お父さんが(尿を)もらしたんだけどどうしよう。はずかしくて周りの人にみられたくなくって。」熱発していた夫を介護する70代の女性に起こされました。避難所では家族ごとにプライバシーを守る壁やカーテンはありません。
避難所での生活は私がかつて働いていたビルマの難民診療所メータオ・クリニックそのものでした。
「黒い壁が町を襲っていくのを見えました。津波がバキバキという音をたて私たちの町を飲み込んでいきました。それをみて私も町の人たちは泣き叫んでいました。ガソリンスタンドが燃え、大槌の山を赤く照らしていたのを昨日のように思い出します。」
帰り大槌町でタクシー運転手さんをしていたというAMDAのドライバーさんが当時の様子を話してくれました。彼のタクシー会社も津波に流され、会社の社長も社員も亡くなりました。
「元気な大槌を見にまた帰ってきてね!今度はおいしい三陸丼食べさせてあげるからね!」と帰り際避難所で働く地元の看護師さんに言われました。
急患がでたと言えばたくさんの人が患者さんの移動を手伝いにきます。6時半にはみんなでラジオ体操をし、7時からみんなで避難所内の掃除がはじまります。毎日班ごとにトイレ掃除もします。ひとりでいるお年寄りには大人、子供問わず声をかけます。
大槌の皆さんは負けません。私はそう信じています。
この大地震でお亡くなりになった方々へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。
阪神・淡路大震災で被災した私はいてもたってもいられず3月11日からテレビ、新聞、インターネットにくぎづけとなり、どうにかして被災地に入るチャンスがないかとうかがっていました。そんな思いが通じてか、職場から1週間のお休みをいただき、最も津波の被害を受けた被災地のひとつと言われる被災地の岩手県大槌町へAMDAという緊急医療援助団体を通じて派遣されました。
大槌町は人口約1万5000人という小さな町です。人口の約40%の方々が漁業を営んでいました。
3月11日災害対策会議の最中に巨大津波が役場を襲い、町長、役場の方々の命ものともさらっていきました。そのため現在は生き残った役場の数名の方々によって避難所の運営等を行っていますが行政機能はほとんど停止していると言わざる負えない状態です。
倒壊した役場
4月1日時点での避難者数は2753人。遺体収容数は536人。行方不明者数は1051人(大槌町災害対策本部情報)。
新聞各社では大槌町を壊滅状態と報道していますが、壊滅状態という言葉だけではそのむごさを言葉では表現できません。私は過呼吸になりそうになりながら津波が襲ったその町をみてきました。海鳥たちの鳴き声。潮の匂い。町中に立ち込める腐敗臭。がれきの中で失ったものを探す町の人々。気がつくと私の眼から涙が溢れていました。
高台からみた大槌町
民家の上に漁船が乗っている様子
廃墟となった町
私たちは避難所のひとつである弓道場で地元の開業医の先生とともに診療を行ったり、弓道所近くの避難所や周辺に暮らす方々の家へ巡回診療を行いました。夜には避難所で当直も行いました。
地元の開業病院3院とも津波によって倒壊し、県病院の大槌病院でも被害を受け、その職員が地震発生後不眠不休で避難所等働かれていたようですが、その活動を休止し4月15日まで家の整理や身内の安否確認のためにお休みをとられ医療従事者が不足していました。
弓道所内の避難所では地震発生後20日目にして電気が通り、その数日後水も通りました。避難所では約200~300人近くの方々が身をひそめあって生活していました。日に何度もくる大きな余震を私も体験しました。まずはじめに地鳴りが聞こえ、避難所の大きな壁や窓が太鼓のように鳴り響き、まるで箱の中で私たちは揺らされているような感覚に陥りました。
外来では津波、地震による外傷で来る患者さんはおらず、ほとんど高血圧、糖尿病等の慢性疾患、風邪、花粉症などで受診を希望する患者さんばかりでした。お薬手帳が津波によって流され何の薬を飲んでいたかわからない人、埃っぽく寒い避難所で風邪をこじらせる人、慣れない共同生活で便秘になる人。
消灯後の真っ暗な避難所では咳の音があちこちから聞こえ避難所内に響きました。昼間に外来にきた患者さんが言った「周りの人を気にしてしまうから咳がしずらい」という言葉を思いだしました。
夜中3時「看護婦さん、お父さんが(尿を)もらしたんだけどどうしよう。はずかしくて周りの人にみられたくなくって。」熱発していた夫を介護する70代の女性に起こされました。避難所では家族ごとにプライバシーを守る壁やカーテンはありません。
避難所での生活は私がかつて働いていたビルマの難民診療所メータオ・クリニックそのものでした。
「黒い壁が町を襲っていくのを見えました。津波がバキバキという音をたて私たちの町を飲み込んでいきました。それをみて私も町の人たちは泣き叫んでいました。ガソリンスタンドが燃え、大槌の山を赤く照らしていたのを昨日のように思い出します。」
帰り大槌町でタクシー運転手さんをしていたというAMDAのドライバーさんが当時の様子を話してくれました。彼のタクシー会社も津波に流され、会社の社長も社員も亡くなりました。
「元気な大槌を見にまた帰ってきてね!今度はおいしい三陸丼食べさせてあげるからね!」と帰り際避難所で働く地元の看護師さんに言われました。
急患がでたと言えばたくさんの人が患者さんの移動を手伝いにきます。6時半にはみんなでラジオ体操をし、7時からみんなで避難所内の掃除がはじまります。毎日班ごとにトイレ掃除もします。ひとりでいるお年寄りには大人、子供問わず声をかけます。
大槌の皆さんは負けません。私はそう信じています。
この大地震でお亡くなりになった方々へ心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2011/02/27
おばあちゃん
2月9日、私の祖母がその89年という人生の幕を閉じました。
このことを日記に書くのはつらく、書くまでにとても時間がかかりました。
祖母の思い出をここで書くとまた涙が溢れてきそうなのでふれませんが、祖母は私の尊敬する人の一人でした。祖父が他界してから30年近く一人で強く生きてきた祖母。愚痴一つ私は聞いたことがありません。気丈で優しい人とみんなに言われてきました。頑張り屋の祖母。
看護師という職業上日常的に人の死に直面しそれを受容すること(または受容したふりをするのか)ができるのに、なぜ祖母の死はこんなにも深く私の心をいまだ突き刺すのでしょうか。
祖母は私が留学する前にこれ以上心配をかけたくなかったのかもしれません。
祖母が亡くなり、私の父が私に言ったこと。
「おばあちゃんはあいこの留学が成功するように、これからもっと後押ししてくれるから大丈夫や。」
おばあちゃん、今までよくがんばったね。私にたくさんの優しさをくれて本当に今までありがとう。
自慢の孫として今日もあいこはがんばります。
おばあちゃんが亡くなって数日後、東京では今年はじめての雪が積もりました。
このことを日記に書くのはつらく、書くまでにとても時間がかかりました。
祖母の思い出をここで書くとまた涙が溢れてきそうなのでふれませんが、祖母は私の尊敬する人の一人でした。祖父が他界してから30年近く一人で強く生きてきた祖母。愚痴一つ私は聞いたことがありません。気丈で優しい人とみんなに言われてきました。頑張り屋の祖母。
看護師という職業上日常的に人の死に直面しそれを受容すること(または受容したふりをするのか)ができるのに、なぜ祖母の死はこんなにも深く私の心をいまだ突き刺すのでしょうか。
祖母は私が留学する前にこれ以上心配をかけたくなかったのかもしれません。
祖母が亡くなり、私の父が私に言ったこと。
「おばあちゃんはあいこの留学が成功するように、これからもっと後押ししてくれるから大丈夫や。」
おばあちゃん、今までよくがんばったね。私にたくさんの優しさをくれて本当に今までありがとう。
自慢の孫として今日もあいこはがんばります。
おばあちゃんが亡くなって数日後、東京では今年はじめての雪が積もりました。
2011/01/29
予防接種
今日は東京医科大の渡航者医療センターで予防接種を打ってきました。
まず一言、なんとも高い!!
計39340円も払いました。なぜなら保険がきかないからです。10割負担。
渡米にあたり大学側が要求している予防接種というのはMMR(新種混合ワクチン:麻疹、流行性耳下腺炎、風疹)、DTP(三種混合ワクチン:ジフテリア、破傷風、百日咳)、髄膜炎菌ワクチンというもの。髄膜炎菌ワクチンは東京の病院を探しても数限られているようです。米国へ行くのに米国の輸入ワクチンである髄膜炎菌ワクチンをうつのは割高です。
今回はA型肝炎ワクチン(7000円)、狂犬病ワクチン(12000円)、髄膜炎菌ワクチン(10700円)を打ってきました。
A型肝炎ワクチンと狂犬病ワクチンはタイで2年間暮らす前に2回打っていたのでブースターとして打ってもらいました。今後も途上国で働くことはあると思うので。
母子手帳をなくした(母親に探してもらっていますがでてこない・・・)私はMMRもDPTも受けなければいけませんでした。ただMMRは麻疹ウイルスの抗体価を病院の健診でとっており十分高い値だったのでMMRは抗体価を調べて低ければ打ちましょうということになりました。病院で麻疹ウイルスに暴露されているからかもしれません。
DPTはTdapという成人用のワクチンが代替用ワクチンとして接種される予定で、入荷される3月にまたうちに行きます。
アメリカに行くまでの準備だけで費用がかさむのは痛い出費です(涙)。
まず一言、なんとも高い!!
計39340円も払いました。なぜなら保険がきかないからです。10割負担。
渡米にあたり大学側が要求している予防接種というのはMMR(新種混合ワクチン:麻疹、流行性耳下腺炎、風疹)、DTP(三種混合ワクチン:ジフテリア、破傷風、百日咳)、髄膜炎菌ワクチンというもの。髄膜炎菌ワクチンは東京の病院を探しても数限られているようです。米国へ行くのに米国の輸入ワクチンである髄膜炎菌ワクチンをうつのは割高です。
今回はA型肝炎ワクチン(7000円)、狂犬病ワクチン(12000円)、髄膜炎菌ワクチン(10700円)を打ってきました。
A型肝炎ワクチンと狂犬病ワクチンはタイで2年間暮らす前に2回打っていたのでブースターとして打ってもらいました。今後も途上国で働くことはあると思うので。
母子手帳をなくした(母親に探してもらっていますがでてこない・・・)私はMMRもDPTも受けなければいけませんでした。ただMMRは麻疹ウイルスの抗体価を病院の健診でとっており十分高い値だったのでMMRは抗体価を調べて低ければ打ちましょうということになりました。病院で麻疹ウイルスに暴露されているからかもしれません。
DPTはTdapという成人用のワクチンが代替用ワクチンとして接種される予定で、入荷される3月にまたうちに行きます。
アメリカに行くまでの準備だけで費用がかさむのは痛い出費です(涙)。
2011/01/08
今年の抱負
遅くなりましたが新年あけましておめでとうございます。
新しい年になると今年はどんな年になるのだろうと毎年わくわく考えるものです。
そして毎年年の初めに考えるのが今年の目標。目標を手帳に書きいつも持ち歩いています。
書き出してみたのですが今年は昨年よりも目標の数が多いです。
その中でも何があっても達成いなければいけないことを列挙します。
①問題なく入学手続き、VISAを取得することができアメリカ大学院に無事に入学することができる。
②ロータリー財団国際親善奨学生としてその活動を真摯に取り組む。
③6月までの日本滞在中半年間家族やお世話になった方々に感謝の気持ちを伝える。
上のほかにも入学後のコースワークで1単位も落とさないであるとか、TOFELのスコアをIBT100点にするなど数えきれないほど多くの目標があります。
新年にはいって、留学準備のことで脳みそがいっぱいです。健康診断(予防接種)、住居、提出書類などここ数か月間でしなければいけないことを考えると焦りますが、丁寧に確実に焦らずしていこうと自分に言い聞かせ、無事に渡米できるようにがんばりたいと思います。
新しい年になると今年はどんな年になるのだろうと毎年わくわく考えるものです。
そして毎年年の初めに考えるのが今年の目標。目標を手帳に書きいつも持ち歩いています。
書き出してみたのですが今年は昨年よりも目標の数が多いです。
その中でも何があっても達成いなければいけないことを列挙します。
①問題なく入学手続き、VISAを取得することができアメリカ大学院に無事に入学することができる。
②ロータリー財団国際親善奨学生としてその活動を真摯に取り組む。
③6月までの日本滞在中半年間家族やお世話になった方々に感謝の気持ちを伝える。
上のほかにも入学後のコースワークで1単位も落とさないであるとか、TOFELのスコアをIBT100点にするなど数えきれないほど多くの目標があります。
新年にはいって、留学準備のことで脳みそがいっぱいです。健康診断(予防接種)、住居、提出書類などここ数か月間でしなければいけないことを考えると焦りますが、丁寧に確実に焦らずしていこうと自分に言い聞かせ、無事に渡米できるようにがんばりたいと思います。
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