2012/06/29

衝撃・授業料値上がる

最近MPH関連のことを書いていなかったのですが、衝撃的なことを発見しました。

チュレーンのMPHの授業料が来学期からまた上がります。1単位1,023ドル。日本円(1ドル=80円として)でおよそ81,840円。前学期は9,430ドル(日本円で約75440円)。大学経営の寮費もStudioタイプの部屋は810ドルから843ドルにこっそり上がってたし。

米国の大学院の授業料は下がることなく、毎年上がり続けています。これがどれだけすごいことか以下計算します。
MPHを取るために必要な単位数 45単位×1023ドル=46,035ドル(日本円にして約3682,800円)

それだけでなく、大学院生として施設利用費、学習テクニカルサポート費などいろいろ合わせると、1セメスターにつき最低1000ドル(約8万円)を払わなければなりません。

加えてアメリカの学生保険は年間1300ドル(約10万円)くらいを支払う必要があり、全てを2年間で卒業する見込みで合わせると・・・

授業料 約370万円+(セメスター維持費8万円×4セメスター)+(生命保険10万円×2年間)
=約422万円です。


これは生活費抜きです!航空券も教材費も家賃も携帯電話代も抜きで、こんなに高額なお金が必要になります。そして今円高なので1ドル80円で計算していますが、円安になるともっと高くなります。


よく、知人を通していろんな方から、米国のMPHに行きたいのですがどうしたらよいですか?と連絡がきます。


以前にも書いたのですが、①英語力、②経済力、③やる気と答えています。

米国恐ろしすぎるほど授業料高すぎです。私はロータリー財団の国際親善奨学生としての奨学金の他に、実は特別枠で他の財団より給付の奨学金をいただいています。これらの奨学金と自分の貯金がなければ、MPH進学はできなかったと思っています。

このブログを書く一つの目的としては、これからMPHに進もうかと思う人に役立つ情報を提供することにあります。

ロータリーの奨学生制度は今年度で終了してしまうので、残念ですが、MPH進学のために皆さん他の奨学金を獲得することをお勧めします。奨学金に受かるためには、事前に英語のテストをクリアしておくことが必須です。それでもなければ、よっぽど貯金があることやお家が裕福または、銀行から大金を借りない限り、米国のMPHは難しいです。

私のMPHのアメリカ人の友人が言っていた言葉。
「アイコ、卒業するまでに僕が連邦政府から借りているお金の額知ってる?9万5千ドル(約800万円)なんだよ。学生ローン返すのに20年くらいはかかるね。」


卒業した途端にローン地獄。ひぃ~~~。

2012/06/24

元世界銀行の職員、メータオで医師として働く

この夏は結核調査について実習するのが私の最大の目的ですが、もうひとつの目的は、夏休み中時間が割とある方なので、博士課程受験の準備(主にGRE!)と将来について考えようと思っています。

最近の悩みは、博士課程の専門分野を公衆衛生から人口学に変えようかと考えています。理由は先学期に勉強したPopulation Studiesを好きになってしまったこと、Migration、Aging Society(移住、高齢化社会)を自分の専門分野にしたいと思ったことです。人口学と健康問題はリンクしており、米国ではMPH取ったあとPhD in Demography または Sociologyに行く人は結構多いです。私は数学的な方法で確実に予期でき、答えが比較的まっすぐ出せる人口学になぜか惹かれています。

チュレーンには人口学を学ぶプログラムがありません。今考えているのはチュレーン大学とともにカリフォルニア大学のバークレー校も受験しようかと思っています。サンフランシスコ住みたい・・・。

本日、メータオの内科外来で働く、国際ボランティアスタッフのアメリカ人内科医師ピーターと夕ご飯を食べました。

彼のキャリアは本当にユニークです。現在72歳。医師になって7年目です。医学校には60歳の時に入りました。

その前は30年間、世界銀行の職員としてアジア各国を渡り歩き、経済学の視点から仕事をしていました。主に職場はワシントンDCの世銀のヘッドクオーターオフィスあるいはタイ、インドにいました。

ミネソタ州立大学院でPhDの経済学号を取得した後、たまたま見つけた職が世界銀行でした。
そんな彼に、私の今の悩みPhDで専門分野を変えようか相談したところ、

「アイコ、PhDを取った後何しようか考えなくていいんだよ。情熱を持てる科目を勉強したらいい。情熱を持てる専門分野とともに仕事は何かしらみつかるから。まして君は日本人の女性。世界銀行をはじめとした国際機関は、アジア人の女性の就職を促進しているから仕事はみつかるよ。でも未婚率、離婚率は高いけどね(笑)。こればかりは縁。」

60歳になって医者になろうと医学校に入ったピーター。私の人生、あと50年くらいあるかと思うかと、いくつになっても自分の好きなこと思いっきりできるのではないかと思ってきました。


2012/06/21

メータオ・クリニック破産の危機

メータオ・クリニックが資金不足で困っていることは毎度のことなのですが、今度こそ本当に破産しなければいけないほど火の車です。

現在1億円ほどの予算が足りていません。予想していたドナーからの寄付金がなかったり、減額したためです。理由の大きな原因は今までタイ・ビルマ国境でメータオ・クリニックのために支援していた団体が、ビルマ民主化に伴い国内への支援を開始しはじめたからです。

お金が集まらないクリニック。ビルマ側のミャワディー病院からは転送でメータオ・クリニックに患者さんを送ってしまう始末(メータオの方が医療の質よいの?)。特に雨季でマラリア、デングの患者さんが多くクリニックは大繁盛していますが、無料診察のクリニックは儲かりません。


クリニック受付。長蛇の患者さんの列。

お金を削るために、スタッフの給料を大幅にカットしようか、スタッフを大々的にリストラしようか、緊急性がないサービスは閉鎖しようか等々、毎日議論を交わしていますが一行に決まりません。

20年前に始まったクリニックは、民主化運動で負傷した学生達の診察をするための仮の診療所でした。日に日に大きくなり今ではスタッフ数約650人。国境沿いで暮らす難民、移民15万人以上もの医療を支えてきました。当初一定の期間で閉める予定だったクリニックは国境の保健省になりつつあり、そう簡単に消えることはできません。

難民の帰還支援ってどうすればスムーズにいくのかずっと考えています。

メディアではあまり放送されていませんが、カチン州には約8万人近くの国内避難民がおり今も停戦がなされていません。カレン州は停戦合意の話し合いが進み、現在新たな内戦なく安定していますが今すぐ帰還できるか疑問です。

まず強制移住により村を焼かれ、住居を失った家族が多いこと、地雷もまだ多くあり、簡単に家を建てたり、森に入ったり、農業を進めたりすることは難しいこと、仕事がないこと、学校がないこと等々膨大な問題が国内には山積みです。

上記のことを整理し、難民を受けいられるように、政府が率先していかないと帰還は難しい。

最悪の場合、このままクリニックが破産対策を取らなければ、いつにでもクリニック閉鎖ということになりかねません。あとはみんなで宝くじを買いまくるかでしょうか。。。

2012/06/17

脱原発

いつか原発のことを書こうと思っていました。私は大飯原発の再稼働に反対です。政府が決定した原発再稼働については憤りを感じます。

日本に帰る前、アメリカに住んでいた時に「原発を全て止めて日本やっていけるのかしら・・・。」と思っていました。

日本帰国後から今日までで原発関連の本を2冊読みました。どちらとも脱原発派の書籍なので意見が偏りがちかもしれませんが勉強になりました。原発推進派の書籍も読んで原発問題について考えられればよいのですが、ひとまず私は今「原発はいらない」と思います。

読んだ参考書籍は
「原発はいらない」著:小出裕章、幻冬舎ルネッサンス新書 2011年
「福島第一原発-真相と展望―」著:アーニー・ガンダーセン 訳:岡崎玲子 集英社新書 2012年

まずはじめにこの夏、関西地域の電力が足りないから、大飯原発を稼働させねばいけないのは本当なのか疑問です。

原発を使わなくても電力需要に耐えられるほど日本には火力、水力の発電所があります。ニュースや政府の広報では「電力がなくなれば日本は停電する。電気のためにも原発使わないと。」と原発推進をあおるような情報が流れます。でも実際火力発電をフルに使えば、原発分を十分まかなえるほどらしいです。原発は全体の発電電力の29%ほど。

でも火力発電すれば二酸化炭素増えて、温暖化になるんじゃないの?と思われる方いるかもしれません。私もそうでした。

しかし、二酸化炭素発生には原発のほうが貢献しているという報告があるそうです。原発発電時の二酸化炭素発生は少ないものの、ウラン鉱山でウランを掘り、製錬、加工、原子炉までの過程でも膨大な二酸化炭素がでるようです。そして二酸化炭素よりも有害なウランの核分裂生成物が原発によって生み出されます。

原子力委員会の核燃料秘密会議で報告書(核を再燃料することでコスト削減になる。ウラン廃棄物を日本で再処理できるようになるから。日本は法律でウランを廃棄できません。結局六ヶ所村の再燃料処理施設を使いたかったから?)を改ざんしたように、どうも利権が原発問題には関わっているように思えます。

上に述べたようなこと以外で、私が一番思うこと・・・

福島の人をこれ以上悲しませないでほしいです。家、土地、仕事、家族、友人、恋人を原発、津波で奪われた人たちを考えると、原発なしでも、例え電気がなくたっても、日本の経済が冷え切ってしまってももういいじゃないかと思ってしまいます。

そんなに電気って重要なのか?なければ死んじゃうのか?政府や電力会社は福島で被害にあった方々、これから癌を発症するかもしれないであろう人々のために何か補償したのでしょうか。

私にも責任があります。原発建設反対に正直気をとめたことは今までありませんでした。そして福島からの電気を私も使っていました。もう二度とばかなことはしないように、原発は使わないでほしいです。

2012/06/14

第2の故郷

タイは雨季のため毎日雨が降っています。私がこのメソトにはじめて着いたのは2007年7月。約5年前のほぼ同じ時期です。

メータオの長期国際ボランティアとして活動を終了した2009年後も毎年メソトに戻っていました。私の第2の故郷になりつつあるメソト。今タイ人のメータオ・クリニックのスタッフの家に泊まっているのですが(毎年彼女の家に泊まっています)、家族のように私を受け入れてくれ、まるで実家です。大人になるまで家族と一緒に毎年帰っていた田舎の祖母の家に帰省しているような感覚におちいります。

ゆっくり時が流れていきます。目が合うと笑顔であいさつしてくれる街の人々。

街はビルマ・タイを結ぶ貿易の街として栄え、たくさんのホテルやレストランができています。メソトの街並みが随分と変わり寂しい部分もありますが全てが懐かしい。

家ではタイ人の友人と一緒に夕ご飯を作っています。タイ料理うまくなるか期待したいとこです。

空芯菜(モーニング・グローリー)のタイ風の炒め物。初めて作りました。簡単です。

豆腐&肉団子スープもちなみに私です。友達に教えてもらいました。

右のお皿にのっているのはソムタムと呼ばれるパパイヤサラダ。今日学校保健チームのみんなとお昼に食べました。

私の大好きなロッティーとチャイを飲む幸せなひと時。

タイ料理毎日食べてても飽きないです。ビルマ料理もたまに食べます。でもタイ料理のほうが好きです。もしかしたら和食よりも好きかもしれません。こんなにおいしいものを低価格で毎日食べれるのは幸せです。

2012/06/10

院内感染の調査・結核について

調査はまだ始まっていません。こんな悠長にしていてよいものかと焦ります。今調査に使う質問票の修正が終わり、最終のビルマ語翻訳に入っています(私でなくビルマ人の知人に訳してもらっています)。

今回の訪タイ目的は卒業するための研究です。内容は結核による院内感染について。対象はメータオクリニックで働くメディカルスタッフです。

調査のきっかけは私がメータオ・クリニックで活動していた頃へさかのぼります。院内の感染予防対策(主に手洗い、マスク装着、ごみの分別など)の活動をメインにしていました。当時結核専門の病棟はなく、結核患者さんと一般患者さんは同じ病棟で衣食をともにしていました。マスクはサージカルマスクのみ。N95という結核マスクは高価なこともあってか、誰も使っていませんでした。

そんなこともあり、年間数人のメディカルスタッフが結核患者さんから、感染したであろうと思われる結核を発症し長期の治療を与儀なくされていました。おそらく一般患者さんも一緒に院内感染していた可能性がありますが、その件数は覚えていません。

2年間のクリニックでの活動を終える前に、N95マスクをメータオ・クリニック支援の会から寄付しました。また結核専用病棟を建設しようと新しいプロジェクトを当会で立ち上げ、現在は結核専用病棟に結核患者さんは入院されています。

私の次に当会派遣でメータオ・クリニックに赴任した医師より「N95マスクあまり使われてないのでは」という指摘を受け、なんでみんな使わないんだろう?と疑問に思いました。マスクが高いから?(マスク1枚につき100円くらいします)。他のスタッフもマスク使用しないから?自分を守るために私だったらマスクするけどなぁとずっと考えていました。あのN95マスクを寄付した以来、現地からマスクもっと送ってほしいとお願いを受けたことはありません。

そして現在の結核病棟の問題は、みんな結核病棟で働きたがらないということです。患者さんを見にいかない。

結核感染予防に何か阻むものがあると思い、一度みんなにどうしてマスク使わないのか、どうして結核病棟に行きたくないのか調査をしてみようと思ったのが今回の調査のはじまりです。

調査の手法としてはKAP調査を用います。Knowledge(知識), Attitudes(態度), Practices(技術)の視点から、質問票を用いて全病棟スタッフに質問票に答えてもらいます。匿名調査ですが、みんな自分たちをよく見せようと調査にバイアスがかかる可能性があるので、私も各病棟観察しにいきます。

質問内容は例えば「何があなたのN95マスク着用を妨げますか?」
a, 着用の必要性をしらなかった。
b, 高価だから使用しない。
c, 他のスタッフがしないから使用しない。
d, N95マスクは結核対策に重要でない。
などです。一応、WHOのガイドラインやすでにアフリカの国で結核のKAP調査をされた論文を読み、その調査内容をもとに質問票を作成しました。

この調査結果より、院内における感染症対策のプロトコール(手順)を作成する予定です。このプロトコールを作成するにあたっても、私の意見しか反映されないのでは意味がないので、プラニングを病棟スタッフと一緒にできればと思っています。

この春学期に学んだHelping Health Workers Learnの手法を用いてオーナーシップをメータオ側にもってもらえるようにやっていけたらと思います。

今回はこの調査だけでなく、クリニックの結核年間レポートをローカルスタッフ、米国人のボランティア医師とともに作成する予定です。ついていけるか心配だけどいい機会と思って勉強します。




2012/06/05

環境の日

今日は世界環境の日です。メータオ・クリニックでは感染予防チーム率いる環境の日チームが力を合わせて、環境の日イベントを開催しました。

院内に設置されたリサイクルの看板。すべてゴミで作られています。アートです。

メータオクリニックではごみの分別が日本ほどきっちりされていません。もえるごみ、プラスチック、資源ごみ等々。タイ自体があまりリサイクルに力をいれていないような気がします。

本日のイベントでは環境の日にちなんで、院内に設置されたペットボトル捨て用のごみ箱に、ごみを分別して捨ててもらえるように患者さんや近所の学校の生徒へデモンストレーションをしました。

ごみの分別をする患者さん

環境に関するビデオをみたりしごみの分別の練習をするビルマの人たち、みんなまじめです。現在、当会の現地派遣ナースが日本に一時帰国してていないのですが、現地の人たちで頑張って取り組む姿をみて、ビルマの人たちって本当まじめだなとなんだか感心してしまいました。

全く環境の日に関係ありませんが、メータオには小さな子どもたちがたくさんいます。子どもみるだけで癒されます。日本は高齢化が進んでいるので街で小さな子どもたちをたくさん見かけることが少なくなっているような気がします。

環境の日を影からずっとみていた女の子。顔にたなかを塗ってめちゃかわいい。思わず写真を撮らせてもらいました。お母さんにしがみついて私の顔をじっとみていました。私が変なビルマ語使うから?(汗)

昨日は月曜日で小児科外来の予防接種の日でした。赤ちゃんがいっぱいいました。


メータオ恒例のさなぎの赤ちゃん。本当はあんまりきつく赤ちゃんをくるんだらいけないんだとか、日本の助産師さんが言っていたような気がします。子どもが手や足をのばしずらいから。巻き方にメータオの産科がつっこんでいるかわかりませんが、さなぎの赤ちゃんいつも癒されます。小児科外来、産科にはさなぎの赤ちゃんだらけです。

私は独身で子どももいないのでわかりませんが、子どもを育ているのは公衆衛生を大学院で勉強するよりも学ぶことが大きいような気がします。人として。子育てしながら働くビルマの女性たちを見て尊敬します。いつか私もお母さんになれるのかしらと思う小児科外来でした。

2012/06/03

スーチーさんを追いかける一日

メソトの長い一日が終わろうとしています。今日はあのアウンサウンスーチーさんがメソトへ飛行機に乗って来られました。私も空港から一目でもお会いできないかと朝早く、友人とともにランチを作り空港へ行きました(クリニック同僚のタイ人の友人宅でお世話になっています)。

空港前の道路にはメソト中のビルマ人が集まってくるんではないかと思うぐらい、ビルマ人の人だかり。


あ~スーチーさんが空港からでてきた!タイ警察の車に連れられて

おー・・・早すぎて行ってしまった。。。


メソト近くにあるメラ難民キャンプを訪問するためにメラ方面へ行かれたスーチーさん。メソトに住んでいる人たちはメータオに移動してきます。スーチーさんが難民キャンプ訪問後、午後1時にクリニック訪問予定となっていました。よい席を取るためにみんな移動です。


スーチーさんを待つ中、みんなスーチーさんの歌を合唱。何かの祭りか~!?と思うくらいすごい人だかりと熱気です。こんなに多くの人がスーチーさんを一目みようと訪れていると思うとスーチーさんはビルマの人たちの希望なんだなと肌でつくづく感じました。
「Daw Suu Kyi! Daw Suu Kyi!(ビルマ語:スーチーおばさん)」と叫ぶ人々。

スーチーさんが15分後に来るからみんな列を作って!車で入るから!と言われ群衆が一瞬シーンとし、その鼓動が聞こえるようでした。スーチーさんが来るんだ・・・!歴史的瞬間・・・!シンシア先生もスタンバイしています。
スーチーさん訪問のために作られていた垂れ幕

15分後
「スーチーさん訪問は残念ながらキャンセルされました。皆さん、帰宅してください!」
とアナウンス。

えーー!とみんなの落胆した声がクリニックに響き渡りました。

はい。残念ながらスーチーさんは難民キャンプはご訪問されましたが、クリニックには来られませんでした。クリニックのあまりの人だかりの熱気からもありタイ政府がセキュリティーを考慮して、メータオ訪問の許可をされなかったようです。

スーチーさんに一目でも会いたいという自分自身もありますが、何よりタイで暮らすビルマの人々にとってスーチーさんの姿や声は未来の希望につながります。そして国際社会がビルマ国内の支援ばかりに目が向気がちな今、途絶えがちになっていたタイ・ビルマ国境の支援にもつながります。

いつかシンシア先生とスーチーさんが会談される時が来ることを期待したいです。

2012/06/01

帰ってきたメータオ

昨日の夕方無事に国境の街メソットに到着しました。到着早々にメータオ・クリニック訪問。1年ぶりの訪問に”みんな私のこと覚えているかな・・・?”とドキドキしながらメータオ・クリニックに行きました。

「せやまアイコー!マトゥイダチャビノー!(ビルマ語:あいこ先生、久しぶり!)」

と明るい声が病棟を周るたびに聞こえ、嬉しくて涙がでそうになりました。みんな何年たっても覚えててくれてるんだ!結婚して子どもができたというスタッフもたくさんいました。私がはじめてメータオに来たのは2007年7月。あれから約5年です。月日がたつのは早いものです。

「どのくらいメータオにいるの?結婚したの?子どもはいるの?」などなど質問攻め。いつもこの結婚、子どもの質問をされる度に少し胸が痛くなるのですが・・・。

みんなの明るい笑顔を見るたびに私も不思議と笑顔になります。こんな素敵な笑顔ができ、心が豊かな人たちは今の日本や米国では本当限られているのではとつくづく感じさせられます。

「ご飯食べた?食べて行きなよ~!」の連続。なんでこんなに懐かしい気持ちで胸がいっぱいになるんだろう。やっぱりメータオ・クリニックは私の第2の故郷です。

明日はアウンサウンスーチーさんがメータオを訪問される予定です。時間や場所は決まっています(一応内密にと・・・)。本当に訪問されるのでしょうか?未だ信じられません。

ひとまず明日一日はその歴史的瞬間を見逃さないようにメータオで張り込みです。

以下メソト市内散策中で撮影した写真とメータオの写真。


雨季でずっと雨が降っています。


しゃれたパン屋さんやカフェが街の中に増えています。


ホンロンマーケットが改装されてきれいになっていました。テスコより見た目はきれいだな~。


当会の現地ナースの支えもあり、水場に石鹸がありました。
また手洗いのポスターがしっかり貼られていました!