2011/07/31

禁断症状

ラストンの町にきてから初の週末です。仕事辞めてから旅行や留学前の準備で忙しく休む暇がなかったのでここにきてはじめてゆっくりすることができています。

今日はルイジアナ工科大学で勉強する日本人の学生さん(この大学には日本人は5人もいません。かなりマイノリティです)と彼女のお友達であるアメリカ人の学生さんたちとプールに行ってきました。日中は日本でいうと35度以上になりめちゃくちゃ暑いのでプールは最高です。

このブログは基本日本語で書いていこうと思うのですが自分に余力があれば英語でも書いていこうかなと思っています。日本人以外の友達にも読んでもらいたいので。でも今回のブログはアメリカ人の友達には読んでほしくないので日本語で。。。

禁断症状というのはもう食べ物が限界です!!!

自分がこんなに食べ物に執着するとは思っていませんでした。薄い味のものが食べたい。。。
ネットサーフィンで日本食をみてはよだれがでます(涙)。
今の寮では自炊ができる環境ではありません。キッチン、バス共同です。

あと20日もすればニューオーリンズに引っ越しチュレーン大学内の寮に入ります。そこは各部屋にキッチン、お風呂が付くStudioタイプのお部屋。引っ越ししたら自分の好みのご飯を作ろうと思っています。

それまでは今いるルイジアナ工科大学の学食やレストランで我慢せねばいけません。ご飯は塩っぽく脂っこいものばかり。関西出身の薄味好きの私には拷問です。そして周りにいるアメリカ人は私の1.5倍~2.0倍以上の体重の人たちばかり。。。

タイに住んでいたときはパラダイスでした。食べ物で悩んだことは一度もなくむしろタイ料理がいつも恋しいくらいでした。

ニューオーリンズまであと20日。食べ物に負けずがんばらねば。舌がおかしくなりそうだ。。。

2011/07/29

ルイジアナ州ラストン市 Ruston, Louisiana

来たー!ニューオーリンズーーーー!と言いたかったのですが残念。。。

今、私はルイジアナ州のラストンという街で英語に慣れるために語学学校に行っています。
特にロータリー財団やチュレーン大学から語学学校に行くことを要求されたわけではなく自分の意志できました。

本当はニューオーリンズで語学学校があればそちらにいっていたのですが、ニューオーリンズでは4週間コースの語学学校はなくニューオーリンズから一番近くにあったラストンで勉強しています。

ラストンはニューオーリンズからバスで8時間くらいの小さな町です。ルイジアナ工科大学という大学付属の語学学校に通っています。田舎の町で本当に何も娯楽がありません。あるのは学校だけ。。。
お金を節約するのにはいい場所かもしれません。

                      ルイジアナ工科大学構内

最初に語学学校に行こうかどうか迷ったのですが、やっぱりきてみてよかった!
いきなりチュレーンで授業をとることに不安があったので少しは解消されるのではないかなと思います。

来月には大学院に行くことを語学学校の先生に話したので、それようのカリキュラムを組んでくれ、ルイジアナ工科大学の看護学部の授業も受講し英語で授業を受ける練習する予定です。

学校生活には問題ないのですが、問題は食べ物!

ラストンでは当然アジア食も手に入るはずはなく、毎日学校の学食。そしてこれがあまりおいしくない。ご飯の量が多いし、しょっぱいし、脂っこい。このままだと確実に太ります。どうしよう・・・・!


                           お昼ご飯

2011/07/27

Niagara Falls

ナイアガラの滝

はじめてナイアガラの滝をみてきました!

写真でどんなに大きいものか伝えられませんが本当に壮大でした。
暑かったので自然のシャワーを浴びて涼むことができました。
                        セイリア夫婦と私

滝をみたあとは公園でセイリア夫婦とピクニックしながらのんびりしているとかわいいリスを発見!

セイリア夫婦のおかげでこの3日間本当に充実した時間を過ごすことができました。
セイリア夫婦の友達(カレン族)にも会いビルマ料理を食べました。彼らの作ってくれたビルマ料理も最高でした。

特にセイリアの旦那さんとははじめて会いましたが優しい旦那さんです。

実を言うと体調は良いのですが米国に来てからなぜか咳が止まらず困っていました。今はおかげさまで元気です。
私のことを心配し、私が寝ている間セイリアの旦那さんは朝早くに薬局へ行き、私のために薬を買ってきてくれました。

私はバッファローを去り、今ルイジアナ州のラストンという街にいます。彼らの優しさが私の心へしみ、彼らを恋しく思うことは間違いありません。セイリア、イグニシャス本当にありがとう!

Niagara Falls
  It was my first experience to see the Niagara Falls. I could not express on the photos how spectacular the Falls were. It was very hot day and natural shower made me cool.
  After we enjoyed the Niagara Falls, we picnicked and relaxed at the park. Then we found a cute squirrel!
  Thanks to Ceilia and Ignatius, Celia’s husband, I spent wonderful 3 days. I met their Karen friends and they cooked Burmese food for me. Their Burmese food was perfect.
  I did not know Ceilia’s husband before I came to US, but he is a very kind husband. Actually, I had been suffering from cough since I arrived at US. He was worried about my health. While I and Ceilia were sleeping in the morning, he went to pharmacy and bought medicine for me. He is sweet.
  I left Buffalo and am in Ruston, Louisiana. I’m missing them a lot.
  Ceilia, Ignatius, Thank you very much!
 Aiko



2011/07/23

Buffalo, NY

昨日無事にニューヨーク州にあるバッファローに着きました。バッファローはニューヨークシティから飛行機で1時間半ほどの場所にあります。ナイアガラの滝で有名な場所です。

私がこのバッファローに来た理由は元メータオ・クリニックでメディカルスタッフとして働いていた私の友人のセイリアに会うためです(詳しく彼女のことを知りたい方、「タイ・ビルマ国境難民診療所、女医シンシア・マウンの物語」をご購読ください!特に第5章は要チェック!)

彼女の存在は私が難民問題にかかわる大きな原動です。

彼女はビルマ・カレン族の難民としてタイ・ビルマ国境の難民キャンプから第三国定住として米国へ来ました。第三国定住とは難民キャンプなどで生活する難民を別の国が受け入れる制度のことです。日本は昨年度からビルマ・カレン族難民を対象に第三国定住を始めました。

彼女は3年ほど前に米国に移り住み、旦那さんと一緒に暮らしています。昼間は短大に行き夜はレストランでアルバイトをしています。旦那さんは先に短大を卒業し日中は帽子を作る工場で働いています。

                      ビルマ料理を作るセイリア

素敵な家、車を買い米国で普通に暮らす彼らに正直驚きました。難民キャンプでは竹の家に住み雑魚寝で家族とともに過ごしていた彼らが洋風の家に住みベッドで眠る。

「メータオ・クリニックでは貧しい生活しかできなかった。タイ警察を恐れ許可書なしには外出することはできなかったけれどここには自由がある。」

そういった彼女には以前よりも自信が満ち溢れているような気がしました。

明日はセイリア夫婦とナイアガラの滝に行く予定です。晴れますように!

               ナイアガラ川(橋はカナダへとつながっています)

  I arrived at Buffalo, NY in safety yesterday. It took for one and a half hours to Buffalo from Manhattan, NY. Buffalo is well known about the Niagara Falls. The main reason why I came to Buffalo is to meet my friend, Ceilia who used to work at the Mae Tao Clinic with me as a medical staff.  Her existence triggered me to think about refugee issue.
  As a Karen refugee, she resettled in US from the refugee camp, located on the Thai-Burma border. The Resettlement involves the assisted movement of refugees who are unable to return home, to safe the third countries such as US, Canada and UK. Japan government has started to accept Karen refugees since last year.
  She came to US three years ago and lives with her husband. During the daytime, she has studied at the community college and has worked at  restaurant as a part time job. Her husband graduated from the community college and works at the factory produces the hat.
  They purchased a nice house and car in same way American people do. I was surprised how different her life was. When they lived in the refugee camp, they stayed at the bamboo house and slept on the floor with their family but now they're living in the Western house and lie down on the bed.
  "I was poor at the Mae Tao Clinic. I was always afraid of Thai police and without any documents, I could not go to outside, but here is freedom in US" Ceilia said. I found that she is more confident in herself than before.
  I'll go to the Niagara Falls with Ceilia and her husband tomorrow. I hope the weather clears up!

2011/07/21

マンハッタン・NY

キターーーー( ゚∇゚ )ーーーー !!!!! ニューヨークーーーー(>_<)ーーーー!!!! 
↑書いてみたかった(照)

乗り換え、乗り換え(関西空港→香港→バンクーバー→ニューヨーク)で日本時間18日18時出国したのに日本時間19日20時着(米国19日7時着)にやっと米国に着きました。格安航空券おそるべしです。

ニューヨーク州にはおよそ1週間滞在します。2泊3日がマンハッタン。3泊4日がバッファローです。
ニューヨークに来た目的はニューヨーク州バッファローにいる友達に会うためです。でもその前にせっかくだからと思いマンハッタンに訪問しました。私のブログが旅行記になりつつありますが来週の月曜から勉強します!

憧れの街。ニューヨーク。昔から住んでみたかった場所に来れて幸せです。
大好きなAlicia KeysのStreets of New York、Empire State of Mindの曲等が頭中を駆け巡ります。

以下は写真で私のニューヨーク観光スポットをご紹介します。

                TOSHIBA画面がまぶしいタイムズスクエア

                       ブルックリン・ブリッジ

小さいけど自由の女神(スタテン島行きフェリーより)

                 ワールドトレードセンター跡地前の公園。
(こんなところでテロがあったなんて考えもつきません。周りは高層ビルで新宿都庁前みたいな雰囲気です。今年で9・11から10年目を迎えます。)

私の将来の職場・国連本部(嘘です!ミーハーなだけ。汗)

国連本部内である見学ツアーにも参加しました!大人16$です。ペルー人のイケメン国連職員さんに案内してもらいました(ジョニー・デップ似だったんです!写真がぶれて残念。国連の話よりもお兄さんに見惚れてしまうミーハーな私。汗)。国連の成り立ちから活動まで幅広く説明してもらいました。武装解除、地雷撤去、平和構築、ミレニアム開発目標など等展示を通して聞きました。

               テレビでおなじみ国連総会のホールもみましたよ!

                       最後にハドソン川と夕日

米国に来てみて感動したこと、疑問に思うことがたくさんあってこの1日のブログで書ききれませんが、感動したことのひとつとして、英語。みんな英語が通じる!当たり前なんですがアジアばかりを旅行していた私にとってはとても不思議な感じです。欧米人にサーブされるなんてとても変な感じ。米国に行くのは初です。唯一欧米諸国へ行ったのは18歳で旅行に行ったカナダだけなのであまり記憶にありません。

ニューヨークの雰囲気が独特なのかわかりませんがみんなが生き生きとしている気がします。同じ都会でもどこか東京と雰囲気が違う。公園でチェスをする人、絵を描く人、ランチをする人たちなど。

そしてひとつ疑問に思うこと。「トイザラスはどこですか?子どもにおもちゃを買おうと思って。」「バスは今出たとこ?今でたなら永久に来ないわ!」「地下鉄はどこですか?」など等話かけ尋ねられることが多い!たまたまなのかニューヨークが観光地だからなのか、米国だからか。

またもうひとつの疑問はなぜクリーニング店のオーナー、スタッフはアジア人が多いのでしょうか?素朴な疑問です。日系っぽい方々ばかり。戦前の歴史も関係しているのかしら?

最後に一番不思議なこと。旅行ではなくてこの新しい国で私はこれから1年以上は住むことになります。なんだか不思議な感じがします。

2011/07/18

出国します。

今関西空港です。出国まであと1時間を切りました。最後の最後までばたばたしていました。あげくの果てにパソコンの充電器を忘れ空港で買うはめに。とほほです。8千円もしました(涙)。

サッカーのなでしこJAPANがワールドカップで金メダルをとった日に出国とはなんとも光栄です。小さな日本人の女性たちが夢を勝ち取ったことに感動し勇気をもらいました。

私もこれからが勝負です。

はじめての地で新しいことに挑戦する。とてもエネルギーがいることです。そして年々年をとることに挑戦することを億劫に感じてしまいます。

日本を襲った未曾有の東日本大震災で苦しんでいる被災地の方々がいるのに悠長にアメリカに行っていいものか。またタイのメータオクリニックでは難民というステータスから移動を制限しいられている人々がいるなかで米国で勉強するという選択肢をもつ私。

後ろ髪ひかれる思いがないとは言えません。それでも言い訳かもしれませんが、この生かされた命に感謝し社会に貢献していきたい。

「あいこには自由がある。私たちの苦しみを世界の人々に伝えて。」

ビルマ難民の友達が私に言った言葉。

自分の可能性を信じ未来を切り開いていきたいと思います。

それでは行ってきます!

2011/07/10

メータオ最後の日

メータオ・クリニックがあるメソトから離れる日がきました。本日の夜、夜行バスに乗ってバンコクへ戻ります。クリニックの皆、メソトの友達と離ればなれになり、ビルマ・タイ料理が食べられるなくなると思うと寂しくて帰りたくなくなります。
私の大好物のカオ・ソイヌードル。学校保健スタッフの奥さんが作ってくれました。

昨日は久しぶりに私たちが支援しているHope学校、またBest Friends学校を訪問しました。土曜だったので学校は閉まっていましたが寄宿舎で暮らす生徒は何人かいました。

Hope学校では学生数が200人近くになり今の建物だけではスペースが足りないようです。トイレも200人に対して2つのみ。メータオ・クリニック支援の会が改修した校舎や、寄付したジェネレーターポンプ、机などは健在でした。

BestFriends学校は以前あった場所から引越しをし、建物を建て直しました。以前あった場所はタイコミュニティーとうまく行かず、タイ警察からの逮捕を恐れ、移民学校周辺の村の人たち、生徒たちが森に隠れ避難するという緊急事態となりました。私がクリニックで働いていたときに水などの緊急支援をしたこともあります。今のBestFriends学校がある場所はコミュニティーとうまく行っており比較的に落ち着いているようです。
BestFriends学校の寄宿舎で暮らす子供たち。

今回の訪問で感じたこと。メータオ・クリニック、その周辺メソトの町が目覚しく発展しています。クリニックでは新しい建物が立ち、メソトには外国人用カフェ、ゲストハウスが並び商業も発展しているように思います。現在クリニックでは初診の患者さんから20バーツ(60円ほど)いただいていますが、そのほかの患者さんの診察代は無料です。何万人という人々の医療を支えるクリニックがはたしてこのまま無料診療を続けてよいのか疑問に思うことがあります。急成長を遂げるタイ側で働く移民労働者には診療費の請求を課すことをそろそろ考える必要があるのではと感じさせられました。マイクロファイナンスを導入していく時期にクリニックが来ているのでは・・・そんなことを考えていました。
3日前感染予防の会議に出席しました。メータオ・クリニック支援の会(JAM)の紹介もしました。

未熟児室にいた両親に捨てられた赤ちゃん。親戚が面倒みていました。

2011/07/08

帰ってきたメータオ

今日1年ぶりにクリニックに行ってきました。何度も恋焦がれて行きたかった場所。
忙殺された急がしい東京での病院勤務の中でも、何度となく目を閉じるとそこにメータオ・クリニックとそこで働くみんなが私の近くにいるような気がしました。特に夜勤明けでぼーっとしながら街を歩いていると奇妙な感覚に陥るほどです。どれだけ私がメータオのことを好きか言葉で表現できません。

久しぶりのクリニック。みんな私のこと覚えてるかな?とクリニック内を散歩しているとみんなからたくさんの声をかけられもう夜には声がかれるほどです。みんなの質問はほぼ同じで「結婚したか?夫はいるのか?」「なんでそんなに痩せたのか?具合が悪いのか?」「いつ来たのか?いつ帰るのか?」などなど。去年も同じこと聞かれたなー。

変わらない長く働くスタッフ。第三国定住で米国に行ったスタッフ。年長になり昇進したスタッフ。結婚し子供ができたスタッフ。時の流れを感じさせられます。

一方クリニックがあるメソトの街は国際NGOの外国人用カフェなどが増え発展し少し残念でした。ヤギ、鶏、牛の鳴き声が聞こえる街だったのに。田舎らしいメソトのほうが好きです。またクリニックも目新しい建物が建っており、こんな建物建てるならランニングコスト(患者さんの食事代、薬代、光熱費など)に使ったほうがよいのではとも思わされました。

クリニックとメソトの街が変化するなか国境の情勢も日々変化しています。Friendship Bridge(タイ・ビルマの国境の友好橋)は閉まったまま。内戦の状態は変化せず今も難民が流出しているようです。国内避難民エリアは100万人近いのではなどとも聞きました。急速に増加している寄宿舎で勉強する子供の数。メソトの国境地帯でクリニックが支援する子供数は600人を越え、その食料費などが不足していること、また昨年の11月のように大量に難民が流出するのではクリニックスタッフは懸念しているようです。そのために数週間前クリニックでは緊急支援要請の声明をだしました。

また私が活動していた院内感染予防チーム。それに従事していたスタッフも減り活動が危機にさらされているようです。明日早速会議に参加し話を聞いてくる予定です。メータオでまた働きたい!みんなのきらきらした笑顔をみているとそんな思いが高まります。

米国での勉強中、メータオについての論文をかけないかと今から考えています。そしてまたメータオに長期で滞在したい。今から首を長くしてそのときを待ちます。

美味しいビルマ料理。大好物のお茶の葉サラダ。小児科外来のスタッフがお昼ご馳走してくれました。




2011/07/07

Incredible!ndia 不思議インド②

前回のブログの続きです。

ダモーでは友人が働いている病院の中を見学させてもらいました。施設内はメータオクリニックより古く、衛生面も正直メータオよりも悪いかなと感じさせられました。メータオは世界各国のNGOの寄付金で運営されていますが、ダモーの病院はインドという国家、その地方自治体の責任となるので外からの援助は入っておらずもどかしい気持ちになります。

病院の診療費は無料なので貧しい町の人々が受診にこられています。メータオのように床にも患者さんやその家族が雑魚寝していました。

そんな中で1人日本人として働く私の友人。ヒンズー語を巧みに操りスタッフと楽しそうに働く友人。時には彼女もお産をとるそうです。私が訪問したときには残念ながら死産した赤ちゃんのお産をみました。


友人のイキイキと働く姿をみ、私自身とても嬉しく思い、同時に早く私も現場で働きたい!と思わされました。

そんな彼女でもカースト制の社会の中で働くことに難しさを感じていたようです。旅行者ではわからないカースト制の実態。上の者が下の者に対してへらへらしたような態度をとると面食らうような感じになってしまうそうです。私がもしダモーで働いていたら地元の人に対して疑心暗鬼にかられていたかもしれません。

もちろん結婚相手など自分で決めることはできません。同じカーストの人の結婚することが当たり前になっているようです。日曜日の新聞に載っている結婚相手募集リストから同じカーストの人をみつけ条件にあえば親が決めてしまうようです。募集リストには経歴などともにHandsomeと書かれている男性がたくさんいました(笑)。婚活で盛り上がる今日の日本にもこの日曜日の新聞導入したほうがよいかも?

3泊4日の間友人に連れられ、友人の大家さん家やスタッフの家で食事、産科医さんとその家族とともに近くの町までお寺に連れて行ってもらったりとたくさんおもてなしをしてもらい楽しい時間をすごすことができました。何よりもダモーの人たちの瞳が純粋できらきらして、その無垢な姿に心を打たれました。池で魚に餌をやる、井戸の水をくみ上げる、それだけではしゃぐ皆。かわいく思えてきました。
訪問したジャイナ教のお寺。皆さんヒンズー教なのですがここは一種の観光スポットとして訪問しました。

ダモーのグランドキャニオン(私の友人が命名しました。笑)きれいな景色で町が一望できます。

友人がお昼にカレーとチャパティーを作ってくれました。チャパティーまで作れるなんてすごい!おいしかったです。ダモーの食事は彼女のランチだけでなくどこでも美味でした。

最後に行ったバラナシ。一人のんびりしてきました。雨季なので水位があがっています。

早朝に沐浴する人たち。私には沐浴する勇気はありませんでした(笑)熱帯医学の症例検証にだされてしまいそうで・・・。

インドの出来事を2回のブログでお伝えすることに限界がありますが充実した旅を送れて本当に楽しかったです!

デリーでお世話になったななこさん、ダモーのかな、本当にありがとうございました!

2011/07/05

Incredible!ndia 不思議インド①

皆さん、ナマステ~!

弾丸のインド8日間の旅を終え、今バンコクです。
初インド旅行を終えて思うことは、インドはわからないという言葉につきます。インド人はだます、うるさいというイメージはこの旅で払拭されましたが本当に不思議な国。その中でも人間、牛、犬、ヤギすべての生き物の生がひしひしと感じられるのは私だけでしょうか。

私の旅行日程を以下に紹介します。
デリーで1泊、オールドデリー、ジャマー・マスジット鑑賞→デリーから列車で移動、アグラでタージマハル鑑賞。日帰り→また列車でアグラからダモーへ移動(マディヤ・プラデージュ州)、ダモー3泊4→列車でダモーからバラナシ移動、バラナシ2泊3日、ガンガー鑑賞→バラナシからデリー飛行機で移動、デリーからバンコク。現在に至る。

インドらしからぬ急いだ旅行になってしまいましたがみたいポイントはおさえることができたと思います。写真で旅の様子を説明します。
ジャマー・マスジット城。インド最大のモスク。

世界遺産タージ・マハル(17世紀の御妃ムムターズ・マハルの墓)私が行ったときは1年に1回のタージマハル建設356周年記念日でお祭りがあり入館料が無料になりました!なんともラッキーな!インド全国からの巡礼者とメディアで大混雑してました(外国人は750ルピーおよそ1500円がかかります)。

タージマハルをみたあとは電車でダモーまで移動。この旅でおもしろかったのは私がインド人にみられているということです。アジア人が珍しいのか電車の中でみんな私をみてきます。私もみかえるとなぜか視線をそらす。その繰り返しです(笑)。私はターバン巻いている人の頭の中がかなり気になってみちゃいましたけど。

次にダモーへ移動。

おっと、インターネットカフェの時間が過ぎようとしています。今から友達と会うので今日はここらへんまでにします。ダモーという町では私の友人が青年海外協力隊の助産師隊員として働いています。ダモーの町でみたこと、感じたことは次回のブログに書きます。

ひとまず本日はバンコクで泊り明日は私の第2の故郷、タイ・ビルマ国境のメソトへバスで移動します。
メータオクリニックの近況も報告しますね!