2012/12/24

さようならチュレーン、ニューオーリンズ、アメリカ

いよいよ旅立ちの時間が近づいてきました。早朝の便で日本に帰ります。

明日の朝4時に留学生の中でもとても仲が良かった中国人の友達に、車で空港まで送ってもらいます。朝早いからタクシーで空港にいくから大丈夫と言ったのですが、最後の最後まで私にお別れを言いたいからと彼女。彼女の顔をみたら泣いてしまいそうです。

この数日間、たくさんのお世話になった皆さんにお別れ会を開いてもらい、お手紙やお土産をたくさんいただき、私が今までどれだけたくさんの人に支えられてて過ごしてきたのかを感じていました。日本でもタイでも、たくさんの人に支え応援してもらい、無事卒業できたんだなと感謝の気持ちでいっぱいです。

私のブログは日々の勉強の話や、進路のことばかりで、自分の本質をあまり書く機会がなかったのではと思うのですが、幼い頃から私の夢は途上国で働くことでした。

その夢を実現させるために看護師になり、経験を積んで、タイ・ビルマ国境のメータオ・クリニックで医療ボランティア活動をしました。

クリニックで目の当たりにした、社会の主流から取り残されたビルマの難民、移民の人々が直面している現実に何もすることができず、むしろ彼らから人と人とのつながり、心の豊かさを学ぶばかりでした。

仲良くなったビルマ人スタッフは私にこう言いました。
「あいこには私達にはない自由がある。私たちのような人間が世界のどこかにいることを伝えて。」

レイプされたわずか9歳の女の子の怯えた顔。地雷で足がなくなった痛みに泣け叫ぶ患者さん。末期のエイズの母親を看取る子どもたち。

クリニックで目で見て肌で感じたことは色あせることなく、国際保健の分野で、私の人生を社会の主流から外れた人々のために捧げたいと思うようになりました。

チュレーン大学で国際保健を深く学ぶたびに、私の気持ちは確固なものとなりました。さらに専門性を高めるため博士課程に進んで、難民、移民、またビルマの人々を対象にした研究をすることを希望としていますが、たとえ進学できなくても、私を取り巻く周りの環境が許す限り、国際保健の分野でなんらかの形で活動していく決意をしています。

ニューオーリンズのコーヒーの香り、どこからともなく聞こえてくるJAZZの音色、陽気な街の人たちの声、壮大な送別会を開いてくださり、私の勉強をずっとサポートしてロータリーの皆さん、アットホームな大学院の先生たち、一緒に勉強した同志のクラスメート、留学生たちの笑顔。

私が今まで毎日当たり前にしていた光景が明日から消えてしまうのかと、寂しさが募ります。

最後まで皆さん、応援していただき本当にありがとうございました。
自分の可能性を信じて、また新しい扉を開いていきたいと思います。

Aiko

(このブログはこれでいったん終了にしようと思います。もし進学が決まれば、新たにブログを始めるかもしれませんが今日で終わりにします。今まで読んでいただきありがとうございました。)










2012/12/21

Tulane life is over 卒業。帰国まであと3日

やっとすべてのテストの結果が返却(オンラインで成績が見れます)。全て試験をクリアしたので、卒業しました!論文もその他のもろもろも全てクリアし、あとは成績のみでした。

12月は卒業式がないので、実感がありませんが。米国の卒業式はだいたい春の5月頃に一斉にされます。卒業のタイミングはうちの大学の場合は5月、8月、12月です。来年早々、実家に大きな卒業証明書が送られてくる予定です。

テスト期間中は夜中3時まで図書館で勉強をする日々が続き、途中で何度もこのテストという試合を離脱しようと思ったことか・・・。平均睡眠時間は4時間でした。夜中3時でも結構勉強している人多いんです。大学の図書館が24時間365日使えるから。

がんばった甲斐あってか、最終MPHの私のGPAは3.67になりました(今学期B+を一教科取ってしまったけど、あとは全てAまたはA-を取りました)。

今日またGREを受け、前回のテストと同じスコアだったため、もう一度日本で受けようかと考え中です。私のスコアはVerbalとMathを合わせて301点(旧式でいうと1100点くらい)。GREの点数は博士課程の必須条件ではないけど、米国人の学生と同じスタートラインに立ちたいのでがんばろうかと思います。

TOEFLは勉強せずに受けたわりにはよかったほうかも。ibTのテストが95点でした。私は80点台のぎりぎりのスコアでこの大学院を受験したので、この1年間ちょっとで、少しでも英語が伸びたのかもしれません。

今日から荷物のパッキングを開始します。先週末から帰国まで、米国人のクラスメートや留学生の友達とのお別れ食事会が続き、明日はロータリーのホストファミリーが私のために送別会を開いてくれます。留学生の友達も招待して。私の学科の中で、12月の留学生の卒業生は私だけなのでみんなに会えないのは寂しく、考えただけで泣きそうです。支えてくれる皆さんには感謝しても感謝しきれないくらいです。

アカデミックアドバイザーのマーク先生にさようならするだけでもつらかったです。最後に私へ手紙を書いて私にくれただけで半泣きです。"I am optimistic. Don't worry, you will come back!"と言ってくれました。本当に来年博士の学生として帰ってくることができればよいですが。

帰国まであと3日。最後にニューオーリンズを堪能して帰ります。



2012/12/08

帰国までおよそ2週間

昨日でMPH生活の全ての授業が終わりました。あとは2つのペーパーと期末テスト1教科のみ。

博士課程の奨学金のためのTOEFLを今日受験し、GREは帰国4日前に受ける予定です。最後の最後までねばります。

授業も終わり、もうこのニューオーリンズにいる時間もわずかと思うと、郷愁に浸りたくなる気持ちです。ただやらなければいけないことが多すぎて、そんな暇もないと言った感じです。

今抱えている1つのペーパーはDHS(Demographic Health Surveys)で働いていた教授から、ルワンダのHIVに関する生データをもらい、それを分析し、レポートに落とすというもの。こういう課題は実践的でやりがいがあります。Monitoring & Evaluation of HIV/AIDSというクラスの最終課題で、今学期でも1,2に興味深かったクラスです。

もう1つのペーパーは開発学の最終課題で、教授のだした選択本を1冊選び、それに関してケーススタディーし分析、ディスカッションし仕上げるというもの。6ページです。この読物が最後!

最後の期末テストはSurvey of Environmental Health(環境衛生の調査)というコアコースのテストです。このクラスはコアだけにあまり面白くなかったかも。やっぱり上記の選択クラスは面白かったけど(ただPhDの学生向けのクラスだけに大変でしたが)。

帰国まであと17日。ゴールは目の前。気を引き締めて最後まで走り抜けます。

(東北でまた大きな地震があったことをオンラインニュースでみました。寒い時期になり、大きな地震が来ると、あの3月11日がフラッシュバックされるのではととても心配です。もうこれ以上大きな地震が日本にきませんように祈るばかりです。)

2012/11/27

牛を売るか?売らないか?

この1か月で、まるまる英語の本、2冊を読みました。しかも開発学の授業の本なので、奥が深い。米国人のクラスメートも「Dense! (難解だ!)」とみんな言っています。

2冊目の本は、まだ読みやすく、スタンフォード大学の教授のJames Ferguson氏が書いた「The Anti-Politics Machine」という本。Amazonはこちら→The Anti-Politics Machine

この本はアフリカ南部のレソト王国という国で、1970年代後半に世界銀行とCanadian International Development Agency(CIDA)というカナダ政府の国際開発部が始めたプロジェクトの話。

何億というお金を投入し、家畜業の改善、地方分権化を図り、レソト王国内の市場経済の促進をしようというもの。

はじめは軌道に乗ったかと思われたプロジェクト。しかし、プロジェクトが終わる5年間の間に様々なことが起こります。

経済の循環がうまくいかず、いつまでたっても貧困で、教養もなく、家畜業を効率的にやること(Livestock Development)が重要だと思った世銀スタッフとCIDA。

プロジェクトサイトの郡に牛用の牧場を立て、そこに村人の牛を預けると、訓練を受けたローカルスタッフが牛の成長を改善させ、その改善された牛は村人のもとに帰ってき、村人はその牛をマーケットへ高価格で売り出す。

効率的に健康な家畜を育てなければ、牛の価値は下がるし、マーケットに売り出すこともできない。

この理論を世銀、CIDA、政府から受けた村人たちは、「わかりました。協力します!」と言い返事はよいものの、誰も牛を預けにこない。やがて牧場の草を食べる牛はほとんどいなくなり、牧場の草は伸びきって、とても牛が歩けそうにもないし、肝吸虫が牧場にはたくさんいるという噂までたつ始末。

このことを不思議に思った筆者(人類学者)はなぜ人々が牛を渡さないのか調査にでます。

そのインタービューの様子がこちら↓

筆者:もし誰かが牛をあげるとあなたに言ったら、牛をもらいますか?

村人:もちろん。もらいます。

筆者:じゃあ、牛をあなたはもらったこととしますね。その数週後、まだ別の人が来て、もしあなたの持っている牛を高い値で買いたいと言ったらどうしますか?

村人:え?その人は私の牛が欲しいのですか?

筆者:そうです。あなたの牛を高値で買いたいと言っています。

村人:それなら、私は売りません。売らないと思います。

筆者:どうして?

村人:牛は私のものです。わかっています。私は牛を売って、お金を得るべきと。でも牛を売るのは特別な時しか売りません。

筆者:どうして?高額な値で売ってほしいと頼まれているのに?

村人:うーん・・・。

筆者:牛を売ることはできないんですか?

村人:私は決して牛を手放すという選択はしないと思います。だってそれは私のものだから。

こういうやりとりが何度も続きます。筆者は気づいたのです。旱魃に襲われたときも、政府は牛が死ぬ前に牛を早く売り、お金に変えなさいと村人に通告しても、誰も売ろうとしなかったのです。

なぜなら、牛は村人(特に男性)にとってプライドだったからなのです。それはお金には変えられないもの。たとえ牛が弱っていて、死にかけでも牛の数は、彼らのプライドとしてそのコミュニティー内で認識されていたからです。

じゃ、牛を売って、たくさん牛を買えばいいじゃないの?と思うかもしれないですが、彼らの文化、社会規範が私たちの常識よりも上回り、そうはさせないのです。

ブログで簡潔に説明するのが、難しいのですが、よかれと思ってやっている西欧の支援が村人たちの文化を蝕むことがあります。最後には管理能力の低い国で、地方分権を導入すること自体が、さらに利権の奪いあいを高め、プロジェクトの運営どころではなくなってしまいます。

筆者はこの著書で解決方法を述べていませんが、開発援助の世界ではこんな事例が山ほどあるとエピローグで語っています。現地の貧しい人がなぜ開発がうまくいかないのかを知っていたのに、そこを援助団体は見逃していたのです。

私もメータオ・クリニックにいた時に、患者さんがマラリアに罹るのはマンゴーを食べたせいだからだと信じている人が多かったのを不思議に思っていました。よく途上国でマラリアの蚊よけの蚊帳を漁業用のネットとして使っていることが失敗例として出されています。

牛の話とは関係ないですが、こういうルーツを調べたらなんだか、マラリア対策や他の問題ももっと改善したりしないかなと思います。

2012/11/23

Happy thanksgiving!

今日はアメリカ国民のもっとも重要ともいえるThanksgivingの日です。学校は休み。去年と同様、ロータリークラブのホストファミリーの家にお邪魔し、ご飯を食べてきました。今年も動けないほど、たくさんおいしいものをいただきました。


このThanksgiving休みは今週日曜まで。この間にPhDに関係する奨学金の書類(量がものすごい多い!)を書いたり、読み切れてなかったReadingを読んだりこの休日に大変助かっています。

修士課程卒業までもう1か月を切りました。あとは期末テストと残りの宿題を片づけるのみ。帰国まではあと1か月です。その間になんとTOEFL(これは奨学金の書類のひとつ)とGRE(11月上旬に受けた点数が2点足りなかった・・・)を受けます。PhDは出願しました。12月のGREスコアがよければもう一度提出し直そう思います。

ゴールはもう目前。最後の最後まで全力を注いでMPH取得まで走り切ります!

2012/11/10

チュレーン大学公衆衛生熱帯医学校100周年記念

久しぶりにブログ更新です。論文の最終提出や授業のプレゼン、またタイトルからお分かりになるように本日学校の100周年記念があったので、その学生ポスタープレゼンの準備とずっと忙しい日々が続いていました。しかもまだPhD進学の書類準備とGREの勉強しています。

今日は私が所属する公衆衛生熱帯医学校の100周年記念式典がありました。この大学の公衆衛生学校は米国で実は一番古い歴史のある学校です。

1800年代に米国南部に蔓延していたマラリア、コレラ、黄熱の研究をするための州医学校として設立されました。

そこから派生し1912年に設立された今のチュレーン大学公衆衛生熱帯医学校です。アフリカのアンゴラで臨床をし、ロンドン大学公衆衛生熱帯医学校で勉強した米国人医師がこの学校の設立者です。そしてMPHができたのは1947年です。今のチュレーンのうたい文句は「チュレーンは国際保健が国際的に注目される前からGlobal Healthをやってきました」。なのでA Century of Commitment to Global Healthが大きくいたる看板に書かれています。

大学周辺では100周年記念のポスターが並びます。

校舎にも100周年の看板。

学校玄関にもポスターがずらり。

こちら学校ロビー。大きな100周年垂れ幕がかかっています。

ポスタープレゼンの参加賞として100周年オリジナルTシャツをゲットしました。そして今月号のAmerican Journal of Epidemiology(疫学の米国雑誌)はチュレーン大学100周年の特集です。

明日も式は続き、エモリー大学、米国疾病予防センター(CDC)、ハ―バード大学、ロンドン大学公衆衛生熱帯医学校の学校長などのゲストレクチャーがあります。盛り上がりそうです。米国の大学院で勉強していると他の米国の公衆衛生学校のゲストレクチャーに参加できる機会もよくあります。

まあ、なんてタイミングに私はチュレーンで勉強しているのかと感慨深いです。そして実は私の30歳の誕生日だったりします。時間が経つのは早いです。

20代は本当にいろんなことに挑戦し、親元から離れ、上京して就職し、タイ・ビルマ国境に行って医療ボランティアをしたり、長崎大学で熱帯医学を勉強し、最後には米国の公衆衛生大学院で勉強と、実に人生は予測がつきません。猪突猛進で突き進んだ20代でしたが本当に楽しかったです。子どもの頃からの夢が目標へと変遷していった20代。

30代はできれば博士課程に進学し、この分野を極めて専門家として自分が大好きと思える仕事をしたいです。願わくば40歳になったときに子ども二人くらいを育てながら、旦那さんとどこかの途上国で働けてたら最高だなぁと思います。少子高齢化に関心があるので結婚、出産をし日本社会へも貢献したいなと思います。

30歳を無事迎えられたのも、いつも支えてくださる周りの皆さん(あまりにも多くの方に支えられて今を生きていると感じます)のおかげです。本当にありがとうございます!

2012/10/31

メータオ・クリニック院長来日決定!

メータオ・クリニック支援の会よりお知らせです。
タイ・ビルマ国境の町メーソート。
そこで祖国ビルマを離れてタイへ渡って来た15万人の難民・移民に無料診療を続ける
「メータオ・クリニック」
 
ビルマが「民主化」に向けて変動する一方で、保護を求めてタイへ渡る患者や子どもの数は
世界の目が国内へと向き始める中、必要な支援を得ることはますます困難となっている。

自身もカレン人難民である院長シンシア・マウン医師が20年以上にわたる活動、そして国境のいまを語る。
シンシア・マウン医師 略歴
1985年ヤンゴン大学医学部卒
1989年メータオ・クリニック創設
2002年ラーマン・マグサイサイ賞受賞
2005年ノーベル平和賞ノミネート
2012Democracy Award 受賞

【東京会場】1117日(土)
 東京都港区日本財団ビル1階バウルーム 14:00~  
参加費1000円 
通訳 田辺寿夫(U Shwe Ba
歓迎会 同ビル8階 18:00~ 参加費2000
(担当:田辺support@japanmaetao.org

【横浜会場】1119日(月)
 神奈川県横浜市東洋英和女学院大学 13:1016:20 参加費 学生無料 一般1000
    *事前申し込み必要 
お名前、ご所属、ご連絡先を添えて
1110日までに下記までお申し込みください。
(担当:田辺文support@japanmaetao.org

【越前会場】1121日 (水)
 福井県越前市健康福祉センター4F多目的ホール
19002000 
 参加費無料
(担当:泰圓澄一法taian1973@gmail.com

【福井会場】1122日 (木) 
     福井県福井市AOSS A6F 601A
18451930 参加費無料
チャリティー夕食会 
19402130 参加費 1万円 
(担当 林宏征、畑勝浩:midorikanjp@gmail.com

【大阪会場】1124日 (土)
大阪府大阪市ドーンセンター4階大会議室1 18:00~ 
参加費 500円  
  (担当:中尾恵子brcj@syd.odn.ne.jp)

主催:
メータオ・クリニック支援の会 
ビルマ市民フォーラム 日本ビルマ救援センター
公益社団法人アムネスティ・インターナショナル日本
共催:公益財団法人日本財団

参加費は全てメータオ・クリニックへ寄付させていただきます。皆様のご参加お待ちしています。






2012/10/27

アメリカ人って・・・

昨日授業の一貫として大学のTED Talkのイベントに参加してきました(http://tedxtu.com/

TEDとは米国発のオンラインカンファレンスというのでしょうか。社会問題に取り組む企業家や教育者などいろんなフィールドから来た人の話がオンラインでみれます。英語版→http://www.ted.com/
日本語版→http://www.ted.com/translate/languages/ja

昨日のイベントでは私の友人でもあるMPHの学生が、インドの田舎でヒューマンパワープロジェクトを立ち上げたという話しや(トイレがないインドの田舎に、トイレを設置し便から発生するメタンガスを使い電気を作るというプロジェクト。DELLで助成金3万ドルを獲得しこの秋からプロジェクト着工の予定。http://www.dellchallenge.org/projects/humanure-power-project)、途上国に住む若い少女に立ちはだかる強制的結婚を反対するために、18歳の公衆衛生学部1年生の学生がNGOを立て助成金を集めている話を聞いたりしました(彼女のNGOのPVはこちら*チュレーンの公衆衛生大学院もみれます→http://www.youtube.com/watch?v=YwEhKu3T51Q)。

私がこのカンファレスにでて、あらためて思ったのは、米国人って野心があり、プレゼン能力が高い人が多いなと思ったことです。

米国に住み1年が経ち、思うことは米国人と日本人は本当に全く違います。今思えば1年前米国に来たとき、私はややカルチャーショックに陥っていたのかもしれません(タイに住んでた時はそんなことなかったのですが)。

以下は私が思う多くの米国人に共通するのではないかと思うことです。ただ私が会ってきた米国人はチュレーン関係者が多いので私の意見に偏よりがあるかと思いますが・・・

①はっきりと意見を言う。プレゼンがうまい。ユーモアのセンスがある人が多い。

②言い訳をすると言えば聞こえが悪いですが、理由を必ず述べる。
例)I think .... because.....と言う。

③さっぱりした性格が多い。
ねちねち悪口を言ったり、イジメが起こることはなさそう。He/She is different とかweird.で他人のネガティブな面は片づけられるかも。そして他人を気にしない。

④小さなことは気にしない。楽天家が多い?
嫌なことがあってもすぐに忘れているような。。。スチューデントローン9万ドル(約750万円の借金)あってもみんな明るく生きています。表面上かもだけど。

⑤自分が一番だと思っているかも。自分が大切。
たぶん、米国の教育方針?謙遜するという文化はない気がします。先生も親も子どもを褒めて育てます。けなして怒ったりしない気がする。

米国はアジアの世界のように空気を読んだり、周りを気にしたり、謙遜したりという文化がないので、それに慣れていない人は留学してしばらく疲れるかもしれません。私ははじめそうだったような気がします。もう今は慣れたし、周りに干渉されない文化はそれはそれで楽なような気がします。米国一生住むのは希望していませんが(国民皆保険制度がしっかりしていない国では病気になれない!タイの30バーツ国民皆保険制度なら住みます。)、若い年齢のうちに日本と全く違う文化のもとでおもいっきり勉強するには最高の場所だと思います。


2012/10/19

国際協力、国際開発

やっと今週はじめの3教科の中間テストが終わりました。論文のアウトラインも提出しひとまずほっとです。あとTake Home Examの中間テストが1教科だけ。

今週から新しい授業「Development Theory(開発論)」がはじまりました。授業を教えるのはうちの大学及び公衆衛生大学院からExcellent teaching賞をもらったことがあるマーフィー先生。宝塚ジェンヌの男役のように、女性なのにかっこいいです。

日本では国際開発(International Development)と言わずに、国際協力(International Cooperation)という言葉をよく耳にすると思います。国際協力は困っている近所の国へお手伝いに行っているというイメージを私は持っていますが、開発はしてあげている、改善してあげるという上から目線が入っているような気がします。

私がタイ・ビルマ国境で本格的にボランティア活動をする前に一冊読んだ本。
「世界の貧困-1日1ドルで暮らす人びと-」ジェレミーシー・ブルク氏著。青土社(2005)

この本はまさにしてあげている国際開発がおせっかいかもしれないよ。ということを私に気づかせてくれた本でした。

グローバリゼーションという市場経済のもと、世界の価値観を押し付けてしまうこともある開発問題。貧乏で電気がなくて水がなくても、心豊かに家族と笑って健康に過ごすことができれば、国際協力なんかしなくてもいいと私はずっと思ってきました。

今でもそう思うし、お金や物であふれる国で住む日本人の心の方が、途上国の人の心よりも貧しいと思うときもよくあります。豊かさ=お金ではない。

私はどちらかというと難民、移民の健康問題について将来関わっていきたいので、人間の尊厳や人権についてこのクラスで学べたらと思っています。そして欧米が唱える国際開発論に興味があるので、このクラスは宿題、読物が多く大変と聞いているのですが最後までやりとげたいと思います。

クラスの導入ディスカッションでも「私は、国際開発が必ずしも幸福や利益を持ってくるわけでなく、その国の文化や価値観を傷つける可能性があると思う」と発言しました。先生は「その通り。アイコが言うようなところにも触って話していくわ。」と言ってくれました。今後の授業が楽しみです。


2012/10/14

ゆかいなアフリカの留学生たち

こんな忙しい時に私ブログ書いてて、いいのかと思うのですが、おもしろいことがあったので書きます。

先週、友達の引っ越し祝い会に参加しました。春学期以来久しぶりに会う友人もおり、その中に米国人の春学期同じクラスをとったクラスメートに再会しました。

「おー!マロン!元気?久しぶり?」と声をかけた私。

「久しぶり。お、俺の名前、マロンじゃなくてピーターだけど・・・」とクラスメート。

は!?名前を間違えてた!?失態をしてしまった・・・。

間違えたのには訳があるのです。それは私の友人のウガンダ人。マロンではないピーターとウガンダ人の友人とは先学期クラスメートでした。

去年の秋学期から会うたびに話をしたりしていた米国人のクラスメート・ピーター。でも彼の名前が覚えられず、今更本人に名前聞くのは失礼かと思い、横に座っていたウガンダ人の友人に、

「ね?あのクラスメートの名前を知ってる?」と私。

「あいつの名前はマロンだぜ。」 ”Marron”と親切に私のノートに書いてくれたウガンダ出身の友人。

それからずっと私はマロンさんだと思いこんでました。私に名前を教えてくれたウガンダ人はもう卒業しウガンダにいます。おーい、マロンじゃないし!!と言いたいです汗。

そして私の仲良いタンザニア人の友人。

図書館のグループスタディールームを借りて勉強していたときのこと。勉強して1時間ほど経過し、お昼すぎご飯も食べなんとなく眠い雰囲気が漂う中で・・・

私が勉強内容を話している途中に、突然、携帯のタイマーをかけ顔を机に伏せ、寝だしたタンザニアの友人・・・。

「あれ・・・。」え?おい、ちょっと勉強会しているのに、寝てるし!!

タイマーが鳴っても、「もうちょっと・・・」と言い、またタイマーを延長させ、寝てました。

どんだけマイペースやねん!と関西人的につっこみたくなる瞬間でした。

そして昨日。米国人のクラスメートのホームパーティーに招待された私とそのタンザニア人の友人。

「私は論文もテストもあるし行かないよ。」とタンザニア人に伝えていたのにもかかわらず、昨日の夕方彼女から電話がかかってきました。

「アイコ、何してんの?何時にパーティー行く?どうやって行く?私は地図が読めないからアイコも来なきゃ!」

パーティーは夕方6時開始です。そして夕方6時に電話がかかってきました。本来ならもうパーティーに行くべき時間なのにまだ行っていなかった友人。そして30分くらい説得の電話を受け、1時間だけならパーティーに参加してもいいよと返事をした私。

「8時にはアイコの家に絶対行くわ!」

いや、私の経験上、おたくは絶対8時には来ないでしょう・・・。しかもパーティーも終わる時間かもよ・・・。

はい。まさに予感的中し、夜8時半「アイコの寮の前よ!到着したわ!」との電話。

奇跡的に30分遅れで着た彼女に関心してしまった私。別のガーナ人の2人の友人を連れて、パーティーに行こうとしたのですがなかなかタクシーがつかまらず、いらだつ私。そんなのおかまいなしに大声で笑うタンザニア人とガーナ人2人。

みんな悩みなさそうでうらやましいよ・・・。ちなみに家に帰ったのは夜11時過ぎてました。

夜全く勉強できなかったけど、まあこんな日もあっていいかと思ってしまう私でした。


2012/10/12

卒業まであと2カ月

亜熱帯地域にあるニューオーリンズも日に日に涼しくなり、日中の最高気温は25度くらい。
今日から5日間秋休みに入りました。

秋休みと言えども、私に休みはありません。来週提出しなければいけない論文のアウトラインを書いたり、中間テストの勉強をしています。あと時間があればGREとPhD願書の準備をしなければならず、ほとんど出かける暇はありません。

考えてみると、期末試験の最終日は12月16日。この日を持って私は卒業します(というか16日の試験が全滅だったらまた来学期もいるかもしれませんが・・・)。

卒業までおよそ2カ月しかありません。

おととい、担当教授のマーク先生のオフィスアワーに行きました。PhD進学について1時間も話仕込んでしまいました。

ぞっとする内容なのは「アイコがチュレーンを落ちた時のワーストシナリオについて考えよう。」

というものです。この大学でPhDに受かる可能性はあります。でも奨学金付はかなり倍率が高く難しいのです。大学院によっては、あらかじめ「うちの博士課程は全ての留学生を含む学生さんに、授業料免除します」というところもあります。そういう大学院も受験したほうがよいとの話しでした。

マーク先生と話をした日の晩は、とてつもなく将来が不安になり眠れませんでした。

“でも私、やっぱりチュレーンでこのまま勉強を続けたい-”もうそれしか今は思いません。

合格し、奨学金を得るかどうかは、最後のラスト数秒までわからないと思います。

学生時代のバスケットボール部のコーチが
「負けるかどうかは自分の心が決めるんだ。最後ラスト数秒まで勝つと思って試合しろ。」

とよく言っていたのを思い出します。負けそうな試合でも、もしかしたら相手チームの選手が負傷するかもしれないし、持久力がもたないかもしれない。それは最後の最後までやってみないとわからないし、誰にもわかりません。

受験もそうです。進学を辞退する人がでるかもしれないし、奨学金も去年よりもっとたくさんでるかもしれない。

恐ろしいのは弱い自分の気持ちに負けてしまうことです。

もうここまで来たら、最後の最後まで望んでやろうじゃないか。私は負けへん。と思う今日この頃です。




2012/10/07

勉強のコツ(続き)

書き忘れていたことがあるので書き足します。

③中間・期末テスト
成績の中でもっとも配分が多いのがテストです。テストでは緊張するし普段の実力が発揮できないかもしれません。そして時間内に全問を解かなければという焦りで空回りしてしまうこともあります。

もしわからない問題がでてしまったら、絶望的になるかもしれません。

が、テストはあきらめてはいけません!
あまりこんなことは言いたくないですが、留学生としての強みを出しましょう。

嘆く前にこのテスト問題で聞きたいことは何なのか考えます。テストの質問がさっぱりわからないというときは、恥ずかしがらず手を上げ、先生のところに行き、何をその問題が問うているのか聞きましょう。

「このテスト問題の意味がわかりません。先生、この問題は○○○について聞いているのですか?」

留学生の非ネーティブの英語の質問を聞いた先生は、だいたい優しく問題内容について説明してくれます。そしてその問題の答えになるようなヒントも出してくれるときもしばしばです(私の経験上)。

問題の表現がまわりくどい言い方をしていたするだけで、全く出くわしたことのない質問に感じることが多々あります。表現内容を先生に言い直ししてもらうだけで、実は結構その問題の解答を知っていたりすることもあると思います(テスト前にちゃんと勉強していれば)。

わからない問題をそのままにせず、先生(テスト会場にいると思います)に聞くことで結構10点くらい変わってきます。

私は今学期5教科取っています。目指せオールAです!


2012/10/05

勉強のコツ

私は自分が頭がよいとは一度も思ったことはありません。日々どうしてこんなこともわからないの?って自分に嘆いています。ただこんな私でもPhDを受けれるほどのGPA(成績)を取ることができたので、私が思う米国の大学院で勉強していくためのコツをお伝えしたいと思います。

以前読者の方から質問があったことと、米国の大学院で現在、またこれから1年生として勉強する方の参考になれば幸いです。

①授業
<授業前>
必ず授業でカバーされるリーディング(教科書、論文、ガイドライン等)を読みます。

リーディングを読む前にもし授業のパワーポイントをすでに持っていれば、先にそのパワーポイントをざっと見ます。先生が授業で何を話すこととリーディングの関連性をしっかり頭に入れて読みます。

大学院のリーディングの量は半端になく多いです。200ページもあるガイドラインもリーディングの一つとして指定されることがありますが全て読むのは難しい。宿題にかかわらない限り、全てをじっくり読まなくてもよいと思います。その代わりSkimします。目を通す。流し読みをし大まかなラインをつかみます。

最後にパワーポイント(うちの大学は授業前に大学の学生ウェブサイトに掲載されます)。
スライドのひとつひとつわからない単語はないか。何を先生は言おうとしているのか考えてよみます。

<授業中>
私は聞き取りずらい先生は録音機を使いレコーディングしています。先生に許可をもらっています。
留学生なので使ってよいですか?と必ず聞いています。2年目になり、だいぶリスニング力も伸びてきたのでレコーディングしないクラスが多いですが1年目は必須でした。

<授業後>
授業の内容は理解しているか。わからなかったことはないか振り返ります。聞き取れなかったとこは録音機を再生し聞き直します。授業内容自体がわからなかったら先生に聞きますが、授業直後多くの質問を聞いたりするのは先生に失礼なので、先生のオフィスアワー(Office Hours)で聞きましょう。またはTA(ティーチングアシスタント)のセッションに行きましょう。

*授業は必ず出席しましょう。出席が成績に反映するクラスもあり出席簿を取られるときもあります。

②宿題
ほぼどのクラスにもあります。週一あるクラスもあります。その宿題の配点が30%~40%の成績の配分を占めることも多いです。宿題は確実に点が取れるところです。気を抜かないようにします。

友達と一緒にしても良いクラス(グループワークが宿題となることも)や、一人でしなければいけないクラスなど様々。納得しこの宿題で100点取れると思うところまで私はしています。わからないところはTAアワーに行きTAに聞く。TAの説明でもわからなければ先生のオフィスアワーに行きます。

ここで注意!
宿題は提出期限ぎりぎりにしてはいけません。なぜならTAと先生のオフィスアワーを見逃す可能性があるからです。提出のせめて1週間から5日前くらいには終わらせて、わからないところを聞けるようTAアワーに私は行っています。それぞれのクラスのTAアワーと先生のオフィスアワーのスケジュールを把握し見逃さないようにしましょう。見逃してしまった場合はメールで先生あるいはTAに質問しましょう。

③中間・期末テスト
クラスによっては先輩の過去問が回っているときもあります。私はルームメートが一学年先輩だったのでよく過去問を借りて勉強していました。過去問で100点を取れるくらい何度もやり直し準備をします。

このテストも上記の宿題と同じで、テスト1週間前くらいには自分のノートやパワーポイントでわからないことがないか確認し、必要あればTAあるいは先生に会いに行きましょう。

テストで一番大事なのは意外にも学期開始に配られるシラバスをもう一度読むことです!!
これを忘れている方多いと思います。

シラバスには必ずCourse objectives(クラスの目標)、Student learning objectives(学生の学習目標)、時にはテスト形式も書かれています。これをもとに先生がテストを作る場合が多いのでテスト前には必ずシラバスを読み、それに沿って勉強すればよい点はとれると思います。あとはクラスメートとグループスタディーを組み、テスト前にテスト範囲の最初から最後まで確認します。お互い聞き逃していたことなどを補いテストに備えます。

以上のことをおさえ勉強してから、A-(GPA:3.67)は最低とれるようになりました。A(GPA:4.00)を取るのは合計約93%以上の配分が取れないとできません。A-なら約88%~92%くらいかと思います。結構大変です。

こんなこと書いている私も再来週に中間テストが3教科あります。勉強しないと。


2012/09/30

グローバルフェスタJAPAN2012


私が活動、所属しているNGOメータオ・クリニック支援の会がグローバルフェスタに出展します。私は残念ながら今年も行けないのですが、当会のメンバーがこの日に向けてがんばって準備をしています。ぜひ当会のブースにお立ち寄りください!いろんな活動をしている様々なNGOから国際機関までブースを出されています。民族衣装から多国籍料理まで楽しめます。

以下、案内文です。

10/6()7()10:00-17:00 日比谷公園Think Global, Think Green :  世界を変えよ。未来つく」のーマてグロバルェスが開されま
NGOメータオ・ック                      


( ) 】 
イ・ミャンマー国境付近の移民・難民の数はミャンマー国内の民主化が進んでも減少にはありませそのうな状のタイ・ミンマー国境付近の医療状況メータオクリニックの設立緯・概要、当会の活動報(院内感染策・校保健支援の取り組)をパネル展示致します。ミャンマーの少数民族の民芸品販売も実施します

グローバルフェスタJAPAN2012(http://www.gfjapan.com/)
テーマ Think Global, Think Green: 世界を変えよう。未来をつくろう。
開催日   10月6日(土)・10月7日(日)
開催場所 日比谷公園(千代田区日比谷公園)
入場料   無料
主催      グローバルフェスタJAPAN2012実行委員会
共催      外務省・独立行政法人国際協力機構、(特活)国際協力NGOセンター(JANIC)
後援     内閣府、一般社団法人日本民間放送連盟






2012/09/27

英語で怒るときもある

今日はYam Kippur Holidayというユダヤ教の祭日のため学校は休みです。GREでできなかった修士論文に時間を費やしています。

このブログのタイトルからどうしたの?と思う方いるかと思いますが、最近米国人の友人に対しかなり怒りました。私としてはめずらしいです。あっ、私はしょっちゅう怒るタイプではないのですが(怖い人ではないです・・・)。

詳しい内容は書きませんが、最近GREの試験勉強や学校の授業の勉強でずっと家に閉じこもっていることが多く、あまり外にでたくない状況が続いていました。集中力が切れるので友達と外出しようという気分には全くなれませんでした。

そんなときにどうしてもGRE2日前に私に会いたいという米国人の友達の願いより、会いたくない中しぶしぶ彼女を待っていました(もちろん試験があるから会いたくないと言ったのに、向こうがこの日じゃないとだめだと言ったので)。

待つこと30分。現れない彼女。

私がメールでどうしたかと聞くと「ヨガクラスが長引いたから今日は行けない。来週でもよい?」と言われたのです。

カッチーンと来た私。だったらGREの試験の後でよかったじゃないのか。行けないんだったら事前にメールしてよ。というか約束していた時間なのにヨガクラス行っていたなんて!とぶち切れてしまいました。

その後のメールのやり取りでも彼女は全く反省の色はなく、それ以前から蓄積されていた怒りから昨日メールで「もうあなたと話すのは不愉快なのでもう会いません。」ときつい一言を言い、慌てて彼女から電話がかかってきたので話すこと20分。。。

英語でなぜ私がこんなに怒っているのか話し続けて、最後には丸く収まりましたが本当疲れた。

私が言いたいのは自分が英語でネーティブにでも怒りを表現できるようになったんだなと、あらためて発見したことです。

1年前初めて渡米したとき、周りの人に反論することもなく物事が進んでいくことも多々あったと思います。初セメスターは自分の英語のできなさに落ち込んでいたのを覚えています。

今では小さなクラスでは大きな声で自分の意見や質問を発言できるようになったし、ためらわずネーティブと意見を言いあえるようにもなりました。おそらく米国人のルームメートがいたことや、ロータリーの国際親善奨学生として10回ほどいろんなクラブで英語で講演をさせてもらったことは大いに役に立ったのではと思います。まだまだ私の英語は大したことはないですが・・・。

このブログの読者の皆さんの中でこれから留学する人がいればぜひ伝えたいのは

英語で話すときは大きな声ではっきりと、自信を持って発言することが大事です!

文法がめちゃめちゃでも発音がきれいでなくてもいいんです。
たくさんの会話をし、勉強すれば文法も発音も直されていくと思います。

自信をもっていない英語にネーティブイングリッシュスピーカーは耳をあまり傾けようとしません。

特にアジア人は謙遜してしまうことは多いかもしれませんが。ネーティブの発言だって大したことない事はたくさんあります。ただ彼らは自己表現がうまいからよく聞こえるように思えるかもしれませんが全てそんなことはありえません。

さて、今からまた勉強します!



2012/09/25

GREとの闘い

本日、Revised GREを受けてきました。6月から勉強してるのに全く割にあっていない結果になりました。

Unofficial スコア
Verbal Section 140 (320)
Quantitative Section 156 (720)
*( )は旧GREのスコア点数に換算したもの。

やばいです。やっぱりもう一度受けないと。うちの博士課程ではVerbalとQuantitativeを合わせて303点(旧式では1200)以上が望ましいですが、私のでは7点足りない。

昨日あまりにも緊張しすぎて、ベッドに10時半過ぎに入ったものの、全く眠れず夜中3時くらいまで起きていたのがひびいたのかも。朝眠くてテスト中も集中力が持たなかったのは大きな原因かもしれない。

羊を数えて寝ようとしても、途中から英単語が頭の中で浮かび、うなされる始末。

このGREのテストがあるがために米国大学院での留学をやめてしまう方多いと思います。

このテスト、ネーティブイングリッシュスピーカーでもつらいのに、私のような非ネイティブにいい得点を取らせようというのは無謀な気がする・・・。またテスト形式が変わり受験生をさらに悩ませている。

一度であきらめてしまうのは、もったいないのでもう一度挑戦しようと思います。11月上旬あたりに(GREは30日ごと、1年5回まで受けれるようです。一度受けたら2カ月は受けれないと勘違いしてたのでよかった)。

たぶん、博士課程に受かるためにGREが留学生の合格の大きな因子ではないとは思っています(先生にも言われたし)、結果が少し下回ったとしても合格する可能性はまだある。でもこの点数では大学からの奨学金を取って全額授業料免除は厳しいとは思う。授業料300万円以上出せるお金は私にありません。涙。

少し、ほっとしたのはUniversity of Washington(ワシントン大学)のPhD in Global HealthのGREの条件(Quantitativeが700以上)とGPAの条件等全てクリアしているので、この大学院はいつでも受けれそうです(やっぱりチュレーン大学のPhD以外にも受けておこうかなと思っています)。そこは留学生を含む全ての学生にFundingがあるって書いてたし。

念のため日本/世界銀行共同大学院奨学金制度のような授業料全額負担、生活費支給の奨学金にも応募することを考えています。それでもConditional Admission(条件付き入学)ではその奨学金にも応募できないのでやっぱり、せめてUnconditional Admissionを取れるようにしたい。

となるとGREは克服しないといけないのではと思う。

うだうだ書いてしまいました。

諦めてしまうのは簡単だけど、諦めてしまえば試合はそこでおしまい。大きく転んでしまったけど、立ち上がってもう一度試験に臨みます。




2012/09/14

The danger of a single story アフリカからの思い

GREの試験も残すところ、あと10日。勉強も今が山場です。毎日授業の予習、復習、宿題をした後、深夜0時くらいまでGREの勉強しているので早く決着をつけたいです。

深夜まで勉強し続けると頭がフルに活動しすぎて、最近寝つきが悪く、勉強しすぎも身体に毒だと気づきました。効率が悪いかも。でも気持ちは焦ります。。。

今日は気分転換にと、大学にいるシエラレオネ(アフリカ西部にある国)出身のアフリカン-アメリカンの友人に連れられて、Tulane African Student Associationというアフリカ出身の生徒が集うサークルに参加してきました。先学期もたまに活動をみにいきました。ダンス大会とか、アフリカの料理を楽しみに。

今晩はアフリカの料理を楽しみながら、Chimamandaさんというアフリカのナイジェリア出身の作家さんのスピーチをみんなで鑑賞しました。


彼女のすばらしいスピーチに私は心を動かされました。英語版のYouTubeを貼り付けました。
日本語和訳つきはこちら
http://www.ted.com/talks/lang/ja/chimamanda_adichie_the_danger_of_a_single_story.html

彼女が言いたいのは、世界が持つアフリカに対する偏見、固定観念についてです。

ひとつの小説やテレビから見えるアフリカ。
貧しく、暴力、内戦やエイズで苦しんでいる国、白人のボランティアから支援を待つ人々の国。

かわいそうなアフリカの人々。

たぶんこんな思い込みは日本人も持っているんじゃないかなと思います。

そんな小さな情報が固定観念を作り、さもすべてのアフリカの国は不幸で満ちた国というイメージを与え、その固定観念がアフリカの人々の尊厳を奪っている。

固定観念が同じ人間としての尊厳、人権の尊さ、平等さをわからなくさせ、アフリカの人たちは私たちと違う人間なんだということを強調させてしまう―

私の稚拙な文章力では伝えられないですが、ぜひ皆さんに見てほしいです。

アフリカの人たちも私がアジアで出会った友人たちのように、心が豊かで優しいです。私はそんなクラスメートたちに癒され、励まされているような気がします。

2012/09/05

My final semester began 最終学期始まる

今日から秋セメスターが開始されました。ハリケーンの影響で昨日まで電気が通っていなかった家も多かったようで、本日より学校開始です。

ハリケーン休み中に、授業の予習を今週木曜日の授業分までしたので一安心です。またGREの問題集も半分終わらせることができました。思いがけない休みに助かりました。

ブログの読者の皆さんにいつ卒業されるのですか?というメールを何通かいただいたのですが、私の卒業は今年の12月下旬です。この秋セメスターで終わりです。

このチュレーン大学のMPHプログラムは2年か1年4ヶ月かのどちらか選べるのですが、私は1年4ヶ月コースを選びました。おそらく留学生の中で私だけです。米国人の同級生でも2年で終わらせる方が半分くらいいます。今までチュレーン大学でMPHを取られた日本人の学生さんたちも2年で終わらせる方しか聞いたことないかも。

なぜ早く卒業したいのか。その理由は米国に滞在するお金がかかるので、早く卒業したいことがひとつ。博士課程に進む前に日本でしばらく住みたいと思ったこと(お金も貯めたい)。あまり最近かかわれていないNGO(メータオ・クリニック支援の会www.japanmaetao.org)で自分が学んだことを、少しでもいかしたいなと思ったことなどが大きな理由です。

決めてしまったことはやらないと気がすまないタイプなので、やりとげるかとは思いますが、1年半で42単位(卒業必要単位の45単位のうち3単位は医療のバックグラウンドがあるので免除)は結構大変です。お金に余裕があって、ゆっくり勉強されたい方にはお勧めはしません。

とうとう始まってしまった最後のセメスター。久しぶりのクラスメートとの再会。ちょっと照れくさかったですが、みんなの元気な顔を見れて嬉しかったです。アフリカ出身のクラスメートとはアフリカ初滞在の話で盛り上がりました。

セメスターがはじまり、宿題、中間テストの予定も決まってきました。私のGREのテストは今月末です。Public Health Analysis(修士論文に匹敵する文書)のアウトライン提出は10月上旬。やらなければならないことが今月末から10月上旬に集中して大変です。GREの勉強は一日何時間もしています。もう早く解放されたい・・・。

今学期はモニタリングと評価の授業を取ります。先学期にプログラミングの授業をとったので、計画立案、モニタリング、評価というつながりができおもしろいです。

モニタリングクラスの予習として、ノースカロライナ大学のMonitoring & Evaluation(M&E) Fundamentalsのオンラインのミニコースをとりました。2時間ほどでコース修了証ももらえます。

https://www.cpc.unc.edu/measure/training/online-courses/certificate-courses/m-e-fundamentals-en




わかりやすいコースなのでM&Eに興味がある方お勧めします。

メータオ・クリニックで私の実習を指導していたプリセプターの先生からメールをもらいました。
「Your hard work will soon pay off !」 (努力はすぐに功を奏するよ!)

正直、このセメスターは泣きそうにつらいと思う。早く私の勉強がペイオフされますように。やるしかない。


2012/08/31

Hurricane Issac ハリケーン・アイサック

ニューオーリンズのありとあらゆる文化を楽しんできた私ですが、ここにきてニューオーリンズ恒例のハリケーンも体験することになりました。

ニューオーリンズと言えば、2005年のハリケーン・カトリーナを思い出される方がたくさんいるかと思います。このハリケーンで私の住むニューオーリンズを含めたルイジアナ州の1500人近くの方が亡くなっています。

今回のハリケーン・アイサックはカトリーナと同様に、ニューオーリンズを直撃しました。そしてほぼ7年前と同時期、ニューオーリンズに上陸しました。カトリーナ再来かとパニックになる人も多かったようで(というかアメリカのメディアが怖がらせているような・・・)、私の友人はヒューストン、バトンルージュなどに避難していました。

ハリケーンの影響でまだ停電している地域もあり、学校は来週の火曜まで休校を延長。メインキャンパスは電気がないらしいです。一時はニューオーリンズ全世帯の85%で電気がなく、私の寮も一瞬だけ停電しました。こんなに停電しているなんて、まるで途上国です(寮は浸水もなく無事でした)。

私は丸々2,3日外出をせず、ひきこもりになり窓をみていました。夜中の雨と風の音がひどくてなんども目が覚めました。


寮の中庭の木も、強い風でもげています。
寮の目の前の学校へ行く道は、大きな木が倒れ道がふさがれています。

自然って脅威です。今回のハリケーンはカテゴリー1で弱めだったようですが、海抜が低いニューオーリンズでカテゴリー1以上のハリケーンが来たらちょっと怖いです。

もしこの大学で博士課程に進学したら、少なくとも来年夏から1年半はまたニューオーリンズに住まなければならず、ハリケーンをまた体験する確率も上がるような気がします。というかまた来月もまだハリケーンの季節。油断大敵です。



2012/08/27

Back in New Orleans

昨晩夜中、無事ニューオーリンズに到着しました。スーツケースも無事です。

楽しい夏休みが終わり、どれだけこの土地に帰ってくるのが怖かったか・・・。月曜から新学期が始まります。はじめてアメリカで学生生活をはじめてから早一年。私ももう2年生になりました。

この秋のセメスターはこの学生生活で一番タフになることは間違いありません。なぜなら以下のことを12月上旬までに終わらせなければいけないからです。

1、12単位取得
2、GRE(大学院用の英語・数学・論文テスト)
3、博士進学のため願書出願
4、Public Health Analysis(修士論文に匹敵する文書)

今までどんな苦難も乗り越えてきたつもりですが、この壁は本当に大きいです。このセメスターは土日も缶詰になりそうです。うーん、12月まで長距離マラソンです。

ちなみにこのセメスターで取る12単位は
Monitoring (2単位)
Monitoring and Evaluation in HIV/AIDS(3単位)
SPSS*統計のソフトウェア(1単位)
Environmental Health(3単位)
Development Theories (3単位)

気合を入れて、家の片づけをし、新学期モードに。
ジャンバラヤを早速作り食べました。ジャンバラヤはニューオーリンズ発祥の食べ物と知らない人も多いはず。

ニューオーリンズに帰った途端、明後日からハリケーンが来ることを知りました。学校はこのままいけば火曜と水曜は休校になるようです。どうやら強いハリケーンのようで、水と食糧を購入し、懐中電灯を準備してくださいとの大学のメールがどしどし着ています。BBCやCNNでもこのニュースが流れています。なんかニューオーリンズに帰ってきた気が否応なしにします(汗)。

ハリケーン中は大好きなニューオーリンズのコーヒーとともに自宅でGREの勉強かな?


2012/08/24

アフリカ南部ザンビア

先週土曜からアフリカにあるザンビアという国で友人を訪ねに来ています。友人はザンビアの厚生労働省の中でHIV/AIDSに関する仕事をしており、一緒にフィールドにも視察させてもらいました。

ザンビアってどんな国?どこにあるの?って思われる方たくさんいらっしゃるかもしれません。
私もここに来るまで全くと言っていいほどザンビアに関して無知でした。

ザンビアはアフリカ南部に位置し、ボツアナ、マラウイ、モザンビーク、アンゴラ、コンゴ、タンザニアなどのいろんな国に接する内陸部にある国です。

ビクトリアフォールズという世界三大の滝もあります(今回は時間がなく、滝は断念)。

フィールド視察以外は首都のルサカにいたのですが、何もない!電気もたまに消えます(停電)。
2階建て以上の建物が少ない。道が広い。レストランもがらがらです。今まで訪問した途上国の中でも一番発展していない国かもしれません。

でもローカルの人は穏やかで、アフリカの中でも治安がよく、イギリス植民地から独立後、民族紛争もなく今まできたそうです。


となりの郡のマーケット。青空マーケットです。

右の白いものが”シマ”という主食です。ケニアのウガリと味が似ています。形状は違うけど。

友人のお仕事はHIV/AIDSに関してなのですが、ザンビアのHIV有病率(15歳から49歳まで)は13.5%。国民の中で98万人近くの人々がHIVをもちながら生活しています(2009年UNAIDS調べ)。

フィールド調査に行ったときに、こんなにART(HIVの治療)を続けている人がいるとは!とびっくりしました。日本は0.1%以下のHIV有病率です。このザンビアの値を考えると信じられないですよね。

来学期にMonitoring and Evaluation in HIV/AIDSという授業を取る予定なので活動を視察させてもらい、勉強になりました。同時に早くフィールドで働きたくもなりました。

友人の現地の人々を主役にし、黒子となり陰で支える国際協力の姿に、ジェームズ・イェンの「Go to the people」が頭によぎりました。欧米の支援は本来の主役を忘れがちかと思います。日本の国際協力って素晴らしいなと考えさせられました。私のメータオ時代ははちゃめちゃだったと時に反省することがあります。次フィールドにでることがあったら、私も黒子となり現地スタッフを支えられるようになりたいな。

今晩の飛行機でアフリカを立ちます。3週間過ごした初めての大陸。目で見て肌で感じ、とても勉強になりました。

次の大陸はアメリカです。まずは自分とともにスーツケースが無事到着しますように(ニューオーリンズまでほぼ24時間に近いフライト!ザンビア→ドバイ→ニューヨーク→ニューオーリンズ)。来週から新学期です。実習レポートを飛行機の中で終わらせます(涙)。


ザンビアの夕日。バイバイ!アフリカ!



2012/08/14

アフリカの大地

ケニアのコースがはじまって早1週間が経ちます。今日は国際移住機関(IOM)のオフィスに行き、明日はスラムでフィールドスタディーです。

今週末に調査のプレゼン、12ページにも及ぶ調査の報告書、Final Examが待っており、今週はタフな一週間になりそうです。タイの実習の報告書と修士論文の内容も決め、その考えている内容を大学院に出すのも来週はじめまで。。。

そんな中、先週金曜から日曜までクラスメートたちと、国立公園に行ってきました。サファリです。いろんな動物たちを見てきたので写真を載せます。小学校のときに1年半飼育委員を務め、「動物奇想天外」というテレビ番組が大好きだった私は、アフリカの動物、自然にすっかり魅せられてしまいました。

 
Longonot山というナイロビから車で2時間ほどかけた場所(ナイバシャ地域)にある山に登りました。


ロンゴノット山は100年近く前まで火山だったという比較的新しい山です。山の中心はクレーターになっています。

そして結構険しい山でした。軽くロッククライミング。

山の頂上にも登りました。クラスメート11名中頂上まで登れたのは7名のみ。私は3番目に着きました!「あいこ、結構体力あるんだね」とみんなに言われました。中学・高校と運動部で6年間活動し、体力には自信があります。社会人になってもバスケットボール、大学でもジム、水泳に通っています

2日目はHell's Gate National Parkに行きました。地獄の入り口という不思議な名前の国立公園。

悪魔の風呂。悪魔の風呂っぽくなく、気持ちよさそうです。

最終日はゲストハウス近くのGreat Lakeから朝日を見、そして・・・

カバをみました!2トンはあるそうです。大きい!

湖にいる水鳥。映画「ナイロビの蜂」を思い出しますね。

          昼はまた違う公園でサファリ。シマウマは本当にシマシマなんですね。

             バッファロー。これも大きい。みんなで水を飲んでいました。

キリンとインパラ!キリンは2階建てくらいあるんですね。

このブログには投稿できないくらいぐらいたくさんの動物に会い、写真を撮りました。雄大な自然とアフリカの動物たちに圧倒されました。人間が侵す愚かな環境破壊がこんな雄大な自然、動物たちの住家を奪ってしまうことはとても残念なことです。

博士課程ではタイ・ビルマ国境について研究する予定ですが、いつか5年後10年後にでもアフリカで働いてみたい。もちろんビルマの人たちは大好きで、ビルマ関連の活動は続けたいです。ただアフリカは私が国際協力を目指すきっかけとなった場所(ピュリッツアー賞の”はげわしと少女”はスーダンで撮影され、その写真は私の人生を大きく変えました)でもあるのでとても興味があります。そしてアフリカの人の素朴な笑顔。あまり長く滞在すぎるとこの土地と人に惚れ込んでしまいそうです。


         ナイロビから登山しにきていたケニアの小学生たち。制服がかわいいです。

2012/08/08

ジャンボ!ナイロビより

3日前に無事ケニア、ナイロビに着きました。初アフリカです。20代のうちに達成したかった夢のひとつがアフリカを訪問することです。夢が叶い嬉しいです。

ケニアに来て、第一印象。アジアと雰囲気が全然違う!

まず人がアジア人とは違う。空が広い。埃っぽい。服装もアジアとも違うしアメリカとも違う。

あ~チュレーンのアフリカ出身の同級生たちの国なんだと感動です。

今回ナイロビに来た第一の目的は授業(3単位もあります)を受けることです。
授業タイトルはFleeing from Famine: The Management of Forced Migration
(飢餓からの脱出:強制移住のマネージメント)

ケニアは東アフリカの中でもたくさんの難民、移民を受け入れている国です。とくにソマリア難民の数は非常に多いです。アジアのビルマ難民・移民を知り、難民・移民問題に興味を持ちました。アフリカはどう違うのか知りたく、このコースを選択しました。

今回の授業ではケニアの難民、移民の政策(特に都会に住む難民、移民)を学ぶために、国連期間のオフィスで話を聞いたり、ケニア最大のスラム(キベラ)で住む移民、難民を対象にしたQualitative Study(質的研究)をし、その結果からどのような介入方法が必要なのかグループワークで考えたりする予定です。

2週間、18名のチュレーンの大学院生(国際開発、公衆衛生、熱帯医学専攻の学生)たちとともに衣食住をともにし、授業と実習を受ける予定です。私の仲良いMPHの同級生も一緒にいます。

またオンラインで授業を受けていた学生さんたちもおり、UNAIDS(ジュネーブ本部)で10年も働いているプログラムオフィサーや、ピースコア(アメリカ版青年海外協力隊)出身者等また多彩のメンバーです。

久しぶりのネーティブイングリッシュスピーカーとの授業気合いがいります。アジアで生ぬるい英語をしゃべっていた私に喝をいれてがんばります。最後はFinal written exam(30%)もあるので気は抜けません。でも授業の中になぜかサファリツアーが入っている(笑)。

2週間有意義な時間を過ごせるように一日一日大事に過ごしていこうと思います。

 訪問したキベラスラムの様子。マーケットが並びます。

  アフリカ今は乾季?で涼しいです。雨がなくて過ごしやすい。最高な気候です。

2012/08/04

バイバイ。アジア。

現在バンコクの国際空港にいます。昨日夜行バスでメソトをたちました。2カ月間、本当にあっという間でした。最後の一週間は研究のまとめ、プレゼント怒涛の毎日でしたが、毎日、毎日が楽しくて、米国にいた時よりものびのび過ごせている自分に気づきました。3年前にメソトを去ったとき以来、毎年メソトは訪問していますが、こんなに長くメソトにいたのははじめてでした。

2カ月間、お世話になったタイ人の奥さんとビルマ人の旦那さん夫婦には本当にお世話になりぱっなしで、どうやって感謝を返せばよいかと考えてしまいます。ビルマ人の旦那さんのご両親、妹と2世帯で暮らし、ほとんど毎日、夕食をその家族とともに食べていました。

 「あいこがいなくなると寂しいね。来年も遊びに来てね。」と言ってくれ、ビルマのお母さんお手製の私の大好きなビルマふりかけを私に餞別としてくれました。
 

ふりかけと楽しかった思い出を振り返りながら、夜行バスの中で1人号泣してしまった私。3年前にメソトを去ったときと気持ちは変わっていません。メソトは私の第二の故郷です。
 

バンコクのモーチットのバス停で降りて、一直線で今の空港へ。


 空港に着き、どこかベンチで座って寝ようかと場所を探していると、前方からカレン族の服装を来たおばさんがこちらを歩いてきます。なんだかみたことあるな…と思いながら、顔をよく見るとメータオクリニックの院長のシンシア先生でした!
 

「ピャラメラ?(ビルマ語:帰るの?)」シンシア先生も笑いながらびっくりしている様子。
 

シンシア先生の娘さんが奨学金をとって3週間だけ南アフリカに交換留学に行っていたそうで、お迎えにバンコクまで私と同じく、夜行バスで着たそうです。なんとも世間は狭すぎる。
 

シンシア先生と2時間ばかりお話しし、そのまま、ベンチで寝てしまいました。あと2時間後にはタイを去り、次はアフリカ・ケニアです。久しぶりのチュレーンのクラスメートとの授業。リーディングマテリアルもどしどしきています。

バイバイ。私の大好きなアジア。また来年に会いましょう。

2012/07/27

Holidays in Bangkok and Vientiane

ブログを珍しく更新していませんでしたが、実は今日の朝まで約1週間メソトから離れていました。

8月上旬から始まるサマークラスで、ケニアに行くため、ケニア大使館でビザを取らねばならず、バンコクへ出かけていたことと、自分の進路相談のためにラオスで某日本のA大学の教授にあったり、バンコクでもチュレーンの担当教授のマーク先生に会っておくことを勧められた、タイ人の教授に会ったり、チュレーン大学のタイ人の友達に会ったり、マヒドン大学で勉強している日本人の学生さんたちにあったりといろいろ移動していました。

そんなこんなであと1週間でメータオの実習が終わります。早すぎる・・・。あと10日後にはアフリカです。

バンコクでみつけた新しい発見を少し見せます。


今年5月にロータリー国際大会がバンコクでありました。その看板がいたるところに残っており、あまりにもかわいいので写真を撮りました。”Welcome Rotarians, Welcome to the Land of a thousand smiles”て書いています。微笑みの国タイランドってことかしら?


バンコクのチャオプラヤ川近くに、Asiatiqueという新しいこじゃれたナイトマーケットができていました。モーチットにあるウェークエンドマーケットがきれいになった感じです。雰囲気もありおしゃれ。

マーケットの中

川沿い。まるで横浜みたい?

2012/07/16

原点

今日、自分の原点を考えさせられる出来事がありました。

日曜日、家で英語のテストGREの勉強をしていたところ、ビルマ人の友人から電話がありました。

「近所のビルマ人が高熱を出して苦しんでいるんだけど、メータオ・クリニックは日曜で閉まっているし、見にきてくれない?」

今回のメータオ・クリニックでの滞在では患者さんは全くみていませんでした。一応持ってきた聴診器と体温計、患者さんの家に行く前に薬局に寄り、パラセトモール(アセトアミノフェン系の薬)を買い、患者さんの家に。

家は街からはずれた場所にたたずみ、竹で作られた簡素の家。床も竹ででき、いかにも床が抜けてしまいそうなおんぼろな佇まいでした。

小さな竹の家で横たわっていた30代の男性。普段は家の前の畑で農業していますが、5日間の高熱のために仕事も休み家でずっと寝込んでいたそうです。5人の家族で小さな竹の家に住む患者さん。タイIDカードは持っておらず、不法移民のためタイの病院には受診できません。

ビルマ語で久しぶりに診察をし、患者さんと話すこと数分。身体所見に明らかな異常はなく、熱は微熱で37度台。夜になると40度近くに熱が上がるとのことから、薬を渡し、改善するようでなければ、明日クリニックへ受診するように勧めました。

この患者さんの一連を通して、自分の心がもやもやしてきました。

あっ、私この気持ち忘れかけていたんじゃないかと思いました。

その気持ちは私の原点。世の中の不平等についての憤りです。

この患者さんだけでなく、この国境沿いにはたくさんのビルマからの難民、移民がいます。その多くが貧しく、竹などできた粗末な小さな家で、家族ぎゅうぎゅうになって住み、タイの警察におびえながら、低賃金で働いています。仕事を休めば首になるかもしれない。お金が入らず食べていけない。病院に行く前にタイの警察につかまるかもしれない。

街を巡回するソンテオという格安の乗合バスに乗るビルマの人々。タイのIDカードがないだけで、バスから降ろされ、タイの警察から賄賂を要求され、はたまた不法移民として強制帰還させられる。

世の中はどうして不平等なのだろう。患者さんの憂慮した顔。

何もできない自分が悔しくてたまらず、歯を食いしばった3年前。

私がなぜ国際協力の世界に飛び込んだのか振り返らせられる出来事でした。




2012/07/12

統計ソフト Epi Info

メータオ・クリニックの実習ももう残り3週間を切りました。時間がたつのはとても早いです。

今はKAP調査で集めた152名の質問票の回答をEpi Info7というソフトウェアを使い分析しています。Epi Infoは米国の疾病予防センター(CDC)のウェブサイトから無料でダウンロードできる統計ソフトウェア。あまりにもかっこよくなんでも簡単にデータが処理できるのでほれぼれしています。

Epi InfoのVisual Dashboardはこんな感じです。iPadのようです。



Confidence Interval(95%CIとか論文で見たことある人いるかもしれません)がちょちょいのちょいで出てきます。

この分析のEpi Infoをこなすまで2日間かかりました。はじめはなんでこんな時間かかる調査をし始めたのだろうと、げっそりしていました。どっかの国際機関やNGOでインターンをするという実習にしていればこんな苦労してデータ集めて、レポート書いてってしなくてもよかったのにと思ったりしました。

今メータオの実習のプリセプター(実習指導者。指導教授はもちろん大学院のマーク先生)をしているのは、メータオの長年ボランティアの米国人医師テリー先生。彼はカリフォルニア大学医学部の助教授でもあり、教えるのがとてもうまいです。MPHもカリフォルニア大学バークレーでとり、公衆衛生専門家として、カリフォルニア州立の保健省で10年以上働いていました。

彼なしに私の研究調査は達成できなかったと思います(まだ最中だけど)。

「こんな調査でへこたれていたら、博士課程には進学できないよ!」とテリー先生より喝をいただきました。

確かにごもっとも。たかが修士の調査でギャーギャー言ってはだめだなと反省するこの頃です。

分析、評価して7月末にワークショップ、結果報告会を開催し、8月はじめより3週間アフリカ(ケニア&ザンビア)です。アフリカは学校の授業と休暇です。今の調査終わらせないとアフリカには行けないわ・・・。



2012/07/08

メータオ・クリニック今後の行方

メータオ・クリニックは今後どうなるのでしょうか。ビルマ民主化にあたり、ビルマ国内に支援が向きがちな国際社会。

6月末にビルマ国内で活動する政治家(今のビルマの大統領にも近い存在)がメータオ・クリニックを訪れたことにより、ビルマ国内にメータオ・クリニックを移すように勧められたのではないかと囁かれてました。では一体実際メータオ・クリニックはどうなっていくのか。

シンシア先生曰く、「ビルマ国内にクリニックを移すことは全く考えていません。ビルマ政府が市民の健康を改善すべく活動すべきであり、人々の健康推進は元来、政府の役目です。それはメータオ・クリニックの目的ではありません。」

と、きっぱりビルマ国内へ引っ越しの可能性を否定。

私もシンシア先生の気持ちがわかります。もともとメータオ・クリニックは、1988年の民主化運動に負傷した難民を助けるための簡易診療所であり、タイ側で永久的に医療を提供することを全く目的としていませんでした。

政府が人々の健康推進の責任者です。メータオ・クリニックがビルマ国内へ移れば、クリニックが政府に代わって健康問題に続けて取り組んでいくように、政府によって自然に仕向けられているような気がします。

ビルマ政府があてる年間の国家予算全体のうち、3%のみが医療費に当てられます。政府の少ない医療費の負担により、国民は医療費の85%を自費で払っています。

日本の医療費を考えてみると、国民健康保険は3割負担。貧しいビルマの人々が85%の負担で医療費を払えるかはとても疑問です。

そのためヤンゴンやマンデレーと言った主要都市で病院にアクセスできるような人たちまでもが、わざわざ遠くからメータオ・クリニックまで足を運んでくるわけです。

でもこのままメータオがタイ側に居続けることは果たしてよいことなのか?

問題は国際社会の目。ビルマ国内に投資が向いている今、メータオに支援してくれる援助団体が急速にその支援規模を縮小し始めています。

メータオが寄付金をもらえなくなると、提供できる医療サービスも減ります。そうなると今までメータオで医療を受けていた患者さんが医療を受けられなくなります。

もしかしたらメータオの医療サービス閉鎖により、ビルマの人々の病気による死亡率、罹患率は上がるかもしれません。メータオがもし国内に入れば、国際社会から財政援助を受け、運営することで医療を受けられる人々が増えるかもしれません。本来はビルマ政府のやるべき仕事ですが・・・。


いつかメータオ・クリニック支援の会の現地スタッフが、ビルマ国内で仕事をする日もそう遠くはないのではと思ったり。

いずれにせよ今年はメータオ・クリニックにとって試練の年となりそうです。


2012/06/29

衝撃・授業料値上がる

最近MPH関連のことを書いていなかったのですが、衝撃的なことを発見しました。

チュレーンのMPHの授業料が来学期からまた上がります。1単位1,023ドル。日本円(1ドル=80円として)でおよそ81,840円。前学期は9,430ドル(日本円で約75440円)。大学経営の寮費もStudioタイプの部屋は810ドルから843ドルにこっそり上がってたし。

米国の大学院の授業料は下がることなく、毎年上がり続けています。これがどれだけすごいことか以下計算します。
MPHを取るために必要な単位数 45単位×1023ドル=46,035ドル(日本円にして約3682,800円)

それだけでなく、大学院生として施設利用費、学習テクニカルサポート費などいろいろ合わせると、1セメスターにつき最低1000ドル(約8万円)を払わなければなりません。

加えてアメリカの学生保険は年間1300ドル(約10万円)くらいを支払う必要があり、全てを2年間で卒業する見込みで合わせると・・・

授業料 約370万円+(セメスター維持費8万円×4セメスター)+(生命保険10万円×2年間)
=約422万円です。


これは生活費抜きです!航空券も教材費も家賃も携帯電話代も抜きで、こんなに高額なお金が必要になります。そして今円高なので1ドル80円で計算していますが、円安になるともっと高くなります。


よく、知人を通していろんな方から、米国のMPHに行きたいのですがどうしたらよいですか?と連絡がきます。


以前にも書いたのですが、①英語力、②経済力、③やる気と答えています。

米国恐ろしすぎるほど授業料高すぎです。私はロータリー財団の国際親善奨学生としての奨学金の他に、実は特別枠で他の財団より給付の奨学金をいただいています。これらの奨学金と自分の貯金がなければ、MPH進学はできなかったと思っています。

このブログを書く一つの目的としては、これからMPHに進もうかと思う人に役立つ情報を提供することにあります。

ロータリーの奨学生制度は今年度で終了してしまうので、残念ですが、MPH進学のために皆さん他の奨学金を獲得することをお勧めします。奨学金に受かるためには、事前に英語のテストをクリアしておくことが必須です。それでもなければ、よっぽど貯金があることやお家が裕福または、銀行から大金を借りない限り、米国のMPHは難しいです。

私のMPHのアメリカ人の友人が言っていた言葉。
「アイコ、卒業するまでに僕が連邦政府から借りているお金の額知ってる?9万5千ドル(約800万円)なんだよ。学生ローン返すのに20年くらいはかかるね。」


卒業した途端にローン地獄。ひぃ~~~。

2012/06/24

元世界銀行の職員、メータオで医師として働く

この夏は結核調査について実習するのが私の最大の目的ですが、もうひとつの目的は、夏休み中時間が割とある方なので、博士課程受験の準備(主にGRE!)と将来について考えようと思っています。

最近の悩みは、博士課程の専門分野を公衆衛生から人口学に変えようかと考えています。理由は先学期に勉強したPopulation Studiesを好きになってしまったこと、Migration、Aging Society(移住、高齢化社会)を自分の専門分野にしたいと思ったことです。人口学と健康問題はリンクしており、米国ではMPH取ったあとPhD in Demography または Sociologyに行く人は結構多いです。私は数学的な方法で確実に予期でき、答えが比較的まっすぐ出せる人口学になぜか惹かれています。

チュレーンには人口学を学ぶプログラムがありません。今考えているのはチュレーン大学とともにカリフォルニア大学のバークレー校も受験しようかと思っています。サンフランシスコ住みたい・・・。

本日、メータオの内科外来で働く、国際ボランティアスタッフのアメリカ人内科医師ピーターと夕ご飯を食べました。

彼のキャリアは本当にユニークです。現在72歳。医師になって7年目です。医学校には60歳の時に入りました。

その前は30年間、世界銀行の職員としてアジア各国を渡り歩き、経済学の視点から仕事をしていました。主に職場はワシントンDCの世銀のヘッドクオーターオフィスあるいはタイ、インドにいました。

ミネソタ州立大学院でPhDの経済学号を取得した後、たまたま見つけた職が世界銀行でした。
そんな彼に、私の今の悩みPhDで専門分野を変えようか相談したところ、

「アイコ、PhDを取った後何しようか考えなくていいんだよ。情熱を持てる科目を勉強したらいい。情熱を持てる専門分野とともに仕事は何かしらみつかるから。まして君は日本人の女性。世界銀行をはじめとした国際機関は、アジア人の女性の就職を促進しているから仕事はみつかるよ。でも未婚率、離婚率は高いけどね(笑)。こればかりは縁。」

60歳になって医者になろうと医学校に入ったピーター。私の人生、あと50年くらいあるかと思うかと、いくつになっても自分の好きなこと思いっきりできるのではないかと思ってきました。


2012/06/21

メータオ・クリニック破産の危機

メータオ・クリニックが資金不足で困っていることは毎度のことなのですが、今度こそ本当に破産しなければいけないほど火の車です。

現在1億円ほどの予算が足りていません。予想していたドナーからの寄付金がなかったり、減額したためです。理由の大きな原因は今までタイ・ビルマ国境でメータオ・クリニックのために支援していた団体が、ビルマ民主化に伴い国内への支援を開始しはじめたからです。

お金が集まらないクリニック。ビルマ側のミャワディー病院からは転送でメータオ・クリニックに患者さんを送ってしまう始末(メータオの方が医療の質よいの?)。特に雨季でマラリア、デングの患者さんが多くクリニックは大繁盛していますが、無料診察のクリニックは儲かりません。


クリニック受付。長蛇の患者さんの列。

お金を削るために、スタッフの給料を大幅にカットしようか、スタッフを大々的にリストラしようか、緊急性がないサービスは閉鎖しようか等々、毎日議論を交わしていますが一行に決まりません。

20年前に始まったクリニックは、民主化運動で負傷した学生達の診察をするための仮の診療所でした。日に日に大きくなり今ではスタッフ数約650人。国境沿いで暮らす難民、移民15万人以上もの医療を支えてきました。当初一定の期間で閉める予定だったクリニックは国境の保健省になりつつあり、そう簡単に消えることはできません。

難民の帰還支援ってどうすればスムーズにいくのかずっと考えています。

メディアではあまり放送されていませんが、カチン州には約8万人近くの国内避難民がおり今も停戦がなされていません。カレン州は停戦合意の話し合いが進み、現在新たな内戦なく安定していますが今すぐ帰還できるか疑問です。

まず強制移住により村を焼かれ、住居を失った家族が多いこと、地雷もまだ多くあり、簡単に家を建てたり、森に入ったり、農業を進めたりすることは難しいこと、仕事がないこと、学校がないこと等々膨大な問題が国内には山積みです。

上記のことを整理し、難民を受けいられるように、政府が率先していかないと帰還は難しい。

最悪の場合、このままクリニックが破産対策を取らなければ、いつにでもクリニック閉鎖ということになりかねません。あとはみんなで宝くじを買いまくるかでしょうか。。。

2012/06/17

脱原発

いつか原発のことを書こうと思っていました。私は大飯原発の再稼働に反対です。政府が決定した原発再稼働については憤りを感じます。

日本に帰る前、アメリカに住んでいた時に「原発を全て止めて日本やっていけるのかしら・・・。」と思っていました。

日本帰国後から今日までで原発関連の本を2冊読みました。どちらとも脱原発派の書籍なので意見が偏りがちかもしれませんが勉強になりました。原発推進派の書籍も読んで原発問題について考えられればよいのですが、ひとまず私は今「原発はいらない」と思います。

読んだ参考書籍は
「原発はいらない」著:小出裕章、幻冬舎ルネッサンス新書 2011年
「福島第一原発-真相と展望―」著:アーニー・ガンダーセン 訳:岡崎玲子 集英社新書 2012年

まずはじめにこの夏、関西地域の電力が足りないから、大飯原発を稼働させねばいけないのは本当なのか疑問です。

原発を使わなくても電力需要に耐えられるほど日本には火力、水力の発電所があります。ニュースや政府の広報では「電力がなくなれば日本は停電する。電気のためにも原発使わないと。」と原発推進をあおるような情報が流れます。でも実際火力発電をフルに使えば、原発分を十分まかなえるほどらしいです。原発は全体の発電電力の29%ほど。

でも火力発電すれば二酸化炭素増えて、温暖化になるんじゃないの?と思われる方いるかもしれません。私もそうでした。

しかし、二酸化炭素発生には原発のほうが貢献しているという報告があるそうです。原発発電時の二酸化炭素発生は少ないものの、ウラン鉱山でウランを掘り、製錬、加工、原子炉までの過程でも膨大な二酸化炭素がでるようです。そして二酸化炭素よりも有害なウランの核分裂生成物が原発によって生み出されます。

原子力委員会の核燃料秘密会議で報告書(核を再燃料することでコスト削減になる。ウラン廃棄物を日本で再処理できるようになるから。日本は法律でウランを廃棄できません。結局六ヶ所村の再燃料処理施設を使いたかったから?)を改ざんしたように、どうも利権が原発問題には関わっているように思えます。

上に述べたようなこと以外で、私が一番思うこと・・・

福島の人をこれ以上悲しませないでほしいです。家、土地、仕事、家族、友人、恋人を原発、津波で奪われた人たちを考えると、原発なしでも、例え電気がなくたっても、日本の経済が冷え切ってしまってももういいじゃないかと思ってしまいます。

そんなに電気って重要なのか?なければ死んじゃうのか?政府や電力会社は福島で被害にあった方々、これから癌を発症するかもしれないであろう人々のために何か補償したのでしょうか。

私にも責任があります。原発建設反対に正直気をとめたことは今までありませんでした。そして福島からの電気を私も使っていました。もう二度とばかなことはしないように、原発は使わないでほしいです。

2012/06/14

第2の故郷

タイは雨季のため毎日雨が降っています。私がこのメソトにはじめて着いたのは2007年7月。約5年前のほぼ同じ時期です。

メータオの長期国際ボランティアとして活動を終了した2009年後も毎年メソトに戻っていました。私の第2の故郷になりつつあるメソト。今タイ人のメータオ・クリニックのスタッフの家に泊まっているのですが(毎年彼女の家に泊まっています)、家族のように私を受け入れてくれ、まるで実家です。大人になるまで家族と一緒に毎年帰っていた田舎の祖母の家に帰省しているような感覚におちいります。

ゆっくり時が流れていきます。目が合うと笑顔であいさつしてくれる街の人々。

街はビルマ・タイを結ぶ貿易の街として栄え、たくさんのホテルやレストランができています。メソトの街並みが随分と変わり寂しい部分もありますが全てが懐かしい。

家ではタイ人の友人と一緒に夕ご飯を作っています。タイ料理うまくなるか期待したいとこです。

空芯菜(モーニング・グローリー)のタイ風の炒め物。初めて作りました。簡単です。

豆腐&肉団子スープもちなみに私です。友達に教えてもらいました。

右のお皿にのっているのはソムタムと呼ばれるパパイヤサラダ。今日学校保健チームのみんなとお昼に食べました。

私の大好きなロッティーとチャイを飲む幸せなひと時。

タイ料理毎日食べてても飽きないです。ビルマ料理もたまに食べます。でもタイ料理のほうが好きです。もしかしたら和食よりも好きかもしれません。こんなにおいしいものを低価格で毎日食べれるのは幸せです。