2011/06/26

ちょっとインドまで行ってきます。

やったぁ~!プレゼン昨日無事終わりました。台本をみず、友達に話しかけるような感覚でやったことが功を奏したようです。「がんばったね。これで渡米しても大丈夫だ!」ともコメントいただき少し安心。

そして今晩の飛行機でちょっとインドにいる友達に会いに行ってきます。もう1年前から温めていたインド行で初めてのインドへの旅行。めっちゃ楽しみ。

インドの後にはタイ・メソトも訪問する(7月6日頃)予定です!

それでは行ってきま~す!

2011/06/22

大阪なう。

大阪に帰ってきてからは毎日のように友達にあったり出かけたりしています。

東京から大阪に戻り住んで思うこと。

どこも冷房が効いていること!街は明るいこと!

東京の電車のほとんどが節電し日中は車内は電気がつかず、弱冷房でした。街は節電し照明は少ない。

そんな東京から戻ってきてどこかほっとする自分がいたりします。

今日は看護学生時代によく通っていた淀屋橋の中之島中央図書館でプレゼンの準備をしてきました。ここでは自習室を無料開放しています。

土佐堀川沿いを歩いていると人だかりが見え、野次馬根性で観にいくことに・・・(すみません。大阪のおばちゃんぽくって)

なんと「トイレの神様」の歌手・植村花菜さんが無料で野外ライブをしているじゃないですか!「おおさかライトダウン」というイベントで来られていたようです。

足をとめて聞きほれてしまいました(植村花菜さんのCDを持っているくらい好きです。大阪出身の同年代のアーティスト応援したい!)。トイレの神様を最後まで聞くと涙がでてきます。

皆さん、今大阪が熱いです!(←私だけか?)。映画「阪急電車」に「プリンセス・トヨトミ」は大ヒット中です。うちの両親はもうすでに両方鑑賞済み。さすが大阪人。私も観にいかねば!
 
ライトアップされた大阪市中央公会堂。
小学生のとき授業で写生したことを思い出します。

2011/06/20

京都でおじゃる

大阪へ引っ越しして早々に京都へ1泊2日行ってきました。

スポンサーロータリークラブの定例会が京都であったため、ロータリー財団国際親善奨学生として最後のご挨拶をしに行きました。

その前に、顧問ロータリアン(私の派遣側ロータリークラブ所属)の家にご招待いただき、お茶の練習をしてきました。顧問のロータリアンさんの家にはなんと茶室がありそこで練習させてもらうことに(顧問ロータリアンさんはお父さん!って呼びたくなるくらい親しく接してもらいいつも感謝です)。

      ニューオーリンズでは茶室がないため(もちろん!)おぼんでお茶をふるまう予定
ロータリーの親善奨学生の目的は異国間の平和理解や文化交流といった任務があります。それを達成すべく私はニューオーリンズの各ロータリークラブ(最低10~12カ所)で自分を含む日本、大阪についてプレゼンしなければいけません。それのみならず茶道などの日本文化もご紹介できればと今考え中です。お茶は親善奨学生になり教わったもの、なかなか様になりません。恥ずかしい・・・。

派遣ロータリー地区での奨学生派遣オリエンテーションでは茶道についてのレクチャーを受け、茶道セットをいただきました。

そして茶道の練習をしたあと、顧問ロータリアンご夫婦と京都へ移動(年に一度のクラブの家族会も兼ねてご家族で例会出席、京都の旅行が今回の京都の訪問目的です)。
京都で三千院を散策。コケの道が今の時期、青々として本当に美しいものでした。

おしゃれなお食事処で定例会の後、近くのホテルで一泊。ロータリーアンの皆さんと記念撮影ができました。これで留学先に派遣クラブの紹介ができます。

そして今日は他のロータリアンさんと平安神宮を散策。雨が降って残念でしたが雨の中の平安神宮は静かで趣がありそれもまた格別に素敵でした。そういえば裏庭までじっくりみたのはじめてだったかも。

平安神宮入り口

                        平安神宮の西神苑

                  橋の上で鯉に餌をあげることができます
帰りには京都の河原町でニューオーリンズでお世話になるであろう受け入れ側ロータリークラブへのお土産や米国に住む友達のためのお土産購入。

京都は本当にThe日本!って感じな場所です。日本を紹介するって改めると本当に難しい。茶道のほうは今週末にもう一度お茶会に参加させてもらいます。すぐに作法を忘れるから情けない!

でもこの機会に茶道を勉強できることはいいチャンス。日本を紹介する場を公でもらうこともそうそうないだろうし。

元ロータリー財団国際親善奨学生としては、私の尊敬する緒方貞子氏(元国連難民高等弁務官)、西水美恵子氏(元世界銀行副総裁)、山崎直子氏(宇宙飛行士)等が数々の著名な方が世界でご活躍されています。
歴代の著名な方と一緒に奨学生として自分が活動するなんて・・・(うふふ)!ミーハーの私は顔を赤らめてしまいます。

でもその前に今週末のプレゼンを完成させねばなりませぬ・・・ピンチです。

2011/06/19

メータオ・クリニック支援の会からのお知らせ

先日メータオ・クリニックからの緊急支援の依頼がありました。

それを受けメータオ・クリニック支援の会でもビルマ市民フォーラム、日本ビルマ救援センター、(社)アムネスティー・インターナショナルと共同でこの緊急支援への賛同表明を発表しました。詳しくは当会HP「緊急支援の呼びかけ~メータオ・クリニック シンシア・マウン医師の声明を受けて~」をご覧いただければ幸いです。
http://www.japanmaetao.org/mag/maetao-suport.pdf

YouTubeでは日本の支援者に向けたシンシア医師からのメッセージがご覧になれます。
(うちの会の日本事務局・田辺さんが作りました!日本語字幕すばらしい。そしてYouTubeでのアップ!)
http://www.youtube.com/watch?v=uORCjGsSVQk

また以下、シンシア医師の声明文を和訳したもの、また英文を記します。

支援者のみなさまへ

ご支援のお願いのためこのメッセージを書いています。

ご存知のように、2010年11月にビルマで行われた選挙後、ビルマで紛争が勃発し、何千もの人々がタイに流入しました。メータオクリニックと協力団体はこの難民保護のため最も必要とされたシェルターと食料を提供してきました。

しかしながらこの紛争は停戦の兆しを見せず、人々のわが子への心配は募るばかりです。彼らは家に帰りたいと熱望しながら、地雷や強制労働、戦闘といった危険に阻まれています。日中はなんとか家に戻り軍隊から家や畑を守る村民もいますが、夜間は安全のため国境を超えタイ側に避難しています。

この紛争に影響を受けた子どもの状況はさらに深刻です。ビルマ国内の学校は休校となったままで、親たちは教育が滞ることを懸念しています。メータオクリニックとその他の団体はモバイル教育ユニットを結成し、こうした子どもたちに教育の機会を与えるよう努力してきました。しかしできる限りの安定と保護を提供するため、より長期的な政策が必要と思われています。

メータオクリニックと関連団体、紛争被害地域団体は寄宿舎と学校がこうした状況を改善するのに適した場所だと判断しました。現在606名の紛争の直接被害児童を確認し、寄宿舎と学校に住まわせています。こうした寄宿舎は国境の近くに位置し、困難な状況においても家族が近くで暮らす機会を与えています。

私たちは子どもたちへの食糧供給のため、みなさまの支援を必要としています。メータオクリニックは紛争勃発前より2805名の児童に対してすでに食糧支援を行っており、今年6月(新学期)からは10%増と予想していました。しかし現在の児童数の増加は想像以上であり、すべての子どもたちに食料を与えるための予算を組むことができません。助けていただけないでしょうか?

300バーツ(約900円)で1人の子どもに1ヶ月分の食事を与えることができます。これからの10ヶ月間この子どもたちを食べさせるのに、180万バーツ(約540万円)が必要です。みなさまのできる範囲で紛争によって避難を余儀なくされた子どもたちを守って下さい。

以下のウェブサイトより直接寄付ができます。
www.maetaoclinic.com/donate

どんな小さなお心遣いでも光栄に思います。

みなさまとご家族が平和でありますように願っています。

シンシア・マウン
メータオクリニック院長


Dear Friends,

We are writing to ask for your help.

As many of you will know, conflict broke out in Burma following elections in November 2011, forcing thousands of people across the border into Thailand. Mae Tao Clinic and its partners have been assisting these refugees hiding along the border by providing much needed shelter, food and protection.

But the conflict shows no sign of stopping. And parents are getting increasingly worried about their children. Although people have been expecting to go back home, many dangers face them and their children on their return, such as landmines, forced labour and fighting. Some villagers return to their properties during the day to try to protect them from the army, but they still must seek safety across the border at night.

This situation is highly disruptive and distressing for the children affected by the conflict. Schools still remain shut in Burma, yet parents have been expressing a concern over their children's education since November. Mobile education units were set up by MTC and other organizations in a bid to give them access to education, but a longer-term solution is now required to provide these children with some semblance of stability and protection.

MTC, its partners and the community affected by the conflict have agreed that integration into boarding houses and schools is the best solution for the children at this time. We have identified 606 children directly affected by the conflict and are now giving them places in boarding houses and schools. These boarding houses are close to the border, giving the families an opportunity to remain close, despite the difficulty of the situation.

We now desperately need your support to provide food for these children. MTC was already feeding 2,805 people before the crisis and we had budgeted for a 10% increase in student numbers in June. But the current rise has been unprecedented and we do not currently have the funds to cover the cost of food for these children. Could you help?

It costs 300 baht to pay for a month's supply of food for each child. To feed these children for the next 10 months, we need 1.8 million baht in total (approximately $62,000 USD). You can help us protect and provide for these children displaced by the conflict by giving as much as you can. A donation of $20 can pay to feed a child for two months. Please visit www.maetaoclinic.com/donate to make a vital contribution.

We are grateful for whatever you can contribute to help these children affected by the conflict.

Peace and warm wishes to you and your family.

Sincerely,

Dr Cynthia Maung
Director of Mae Tao Clinic

2011/06/17

東京駅なう。

今東京駅新幹線の中です。
退職してから怒涛の1週間でしたがたくさんのお世話になった方々へお別れを告げることができました。心のこもった餞別、お手紙等本当にうれしかったです。皆さん、ありがとうございました。

東京は私にとってターニングポイントとなった街です。21歳で上京し右も左もわからないままスタートした東京生活。新人の時は仕事がつらくて泣き言をいい、「今度こそ、大阪に帰るねん!」と毎晩のように親と親友に愚痴を電話でこぼしていました。そんなことが嘘のように今では東京は私にとってかけがえのない場所です。

大阪(21年)→東京(3年3カ月)→タイ(2年)→長崎(3カ月)→東京(1年半)→米国(2年予定)。移動しまくる激動の20代でした。この次東京にまた住むんかな・・・そんなこと思いながら引っ越しの荷造りをし、空っぽになった部屋をみていると切なくなりました。

昨晩もらった親友からの手紙を電車の中で読みながら泣いていた私。

自分の大切な人たちがいる街を去るのはさみしいです。
もといた病院で勤め直し、家も引っ越さなければさみしい思いもしない。
年を追うごとに新しいことをする自分が億劫になっていることに気がつきます。

でもそんな楽なことをしてたらいつまでたっても自分は成長しない。
この先にある未来を信じ、猪突猛進でがんばらなきゃ。

                                                     親友とみる渡米前最後の東京タワー

2011/06/14

たこ焼き@岩手県大槌町

先週末におかげさまで無事退職しました。退職して早々の夜勤明けで私と友達が新幹線に乗って向かったその先はなんと岩手県。

あの3月末にAMDAで行った被災地、岩手県大槌町のことが私の頭の片隅に常にありました。
「日本を去る前に頭へ今の日本の現状を焼き付けて出国したい。」
そんな思いで今回の岩手県行を計画しました。

そして、なんと大阪人としての誇りをもって、たこ焼きを炊き出しの品にする!という無謀な計画(炊き出しにはたくさんの食材と機材が必要!)を立てたにもかかわらず、新人時代の病院の上司である師長さん、先輩、同僚とともにたこ焼きをすることになりました。結局は大槌で活動する大手NPOにたくさんお手伝いをしてもらいできたということが正直なところですが。。。

何はともあれ、何百個というたこ焼きをあんなに必死で作るみんなの姿みたことはありません。
大人数人が鉄板に群がり、鉄板の上で無言で必死に作る姿。外から見たら異様だったと思います(苦笑)


                         作ったたこ焼き

                         熊本のだご汁
         (たこ焼きだけではさみしいので熊本出身の上司が率先して作ってくれました)

「たこ焼きをね、みんなずっと楽しみにしてたんですよ。いつになったらたこ焼きの炊き出しが来るんだっててみんなで噂をしてたんですよ。大槌には昔たこ焼き屋さんが一店あったけど津波で壊れてしまったし、地震があってからみんなたこ焼きを食べてないんですよ。本当に美味しかったです。」

避難所のかわいらしいおばあちゃんが私に笑顔でお話してくれました。たこ焼き隊長としてはこの言葉本望です。嬉しい。

そして2時46分サイレンが町中を鳴り響かせ、黙とうをみんなで捧げます。私たちが大槌を訪れたのは6月11日。地震からちょうど3か月目でした。

はっきり言って3カ月たった今も状況は著しく改善しているとは言い難いです。私が訪れた避難所では今もなお130名あまりの方々が共同生活を余儀なくされています。がれきが片づけられていない町。避難所、被災地の人々の心を簡単に共感できるなんて私にはできない。でもたくさんの人にこの現状を伝えていきたい。

アメリカに行く前の私の脳裏に刻みこんだ一日でした。

2011/06/09

看取るということ

病院勤務も残り一日となりました。明日で退職です。

おとといの晩珍しく患者さんのお看取りをしました。祖母の死後、人の死に直視することに怖がり、心の中でどうにかお看取りにあたりませんように。。。と祈っている自分がいます。

その日の夕方どうも今晩あたりあやしいなと思っていた患者さん。呼吸も浅く意識もありません。

夕方面会に来ていた娘さんに「もしかしたら今晩、明日が山場かもしれません。」と看護師の勘から率直にお伝えしてしまった私。私は祖母の死を看取ることができませんでした。できるなら患者さんの家族に看取ってほしい、後悔ない臨終を見届けてほしい。そんな気持ちが強くなります。

夜10時。心電図モニターが鳴りとうとう終わりの時を告げようとします。

「もうお母様は長くない状態です。ご家族で病院にきていただけますか?」
長くないという問題じゃない。もうあと数分も立たないうちに患者さんの命は燃え尽きてしまうよと心の中で思いながら娘さんへ電話します。

30分後ぞろぞろと家族が病院に到着、亡くなったおばあちゃんをみてお孫さんが鼻をすすり泣いています。この瞬間の看護師の立ち位置はどうしたらいいんだろう。なんて家族に声をかけたら。。。

看護師をして何年もたちますが、この瞬間の私の気持ちはずっと同じです。

「お母様をきれいにさせていただいてもいいですか?」

私たちはここから死後の処置をします。何年たっても亡くなった方の遺体をさわるのは壊れ物をさわるような感覚に陥ります。そして目の奥に涙をためている自分に気づきます。亡くなった患者さんの顔に化粧をしながら「よくがんばったね。よくがんばったね。」と毎回声をかけられずにいられない。

死後の処置が終わり死に化粧をしたお母さんをみて涙をためた娘さんが発した第一声。

「お母さん!どうしちゃったの?」
夕方まで苦しんでいたお母さんが安らかな顔をして薄化粧をし眠っているのをみて、そのあまりの表情の違いにびっくりされたようです。

「母が生前に着ていたお気にいりのワンピースなんです。お母さん、きれいだね。がんばったね。母は父が今年に亡くなってから一緒にむこうに行きたいと言っていました。父に会いたかったのかもしれません。」

私はその言葉を聞いてマスクで涙を隠していました。最後着せたいものがあるという娘さんからのリクエスト。私と同僚は患者さんにそのお気に入りのワンピースを着せました。

私は看護師です。この仕事を辞めたいと思う一つの理由をあげるならあまりにも人の死が日常的すぎること。そんな人の死に鈍感になっている自分がいることに恐ろしくなるときもあります。

死というのは患者さん、家族にとっても人生の大きなターニングポイント。
そんなターニングポイントにかかわるこの職業は厳かな仕事だと思っています。

看護師としていつか病院に働くことがあるのか、はたまたもう二度と働くことはないのか。
何とも不思議な気持ちに陥りました。