2011/06/09

看取るということ

病院勤務も残り一日となりました。明日で退職です。

おとといの晩珍しく患者さんのお看取りをしました。祖母の死後、人の死に直視することに怖がり、心の中でどうにかお看取りにあたりませんように。。。と祈っている自分がいます。

その日の夕方どうも今晩あたりあやしいなと思っていた患者さん。呼吸も浅く意識もありません。

夕方面会に来ていた娘さんに「もしかしたら今晩、明日が山場かもしれません。」と看護師の勘から率直にお伝えしてしまった私。私は祖母の死を看取ることができませんでした。できるなら患者さんの家族に看取ってほしい、後悔ない臨終を見届けてほしい。そんな気持ちが強くなります。

夜10時。心電図モニターが鳴りとうとう終わりの時を告げようとします。

「もうお母様は長くない状態です。ご家族で病院にきていただけますか?」
長くないという問題じゃない。もうあと数分も立たないうちに患者さんの命は燃え尽きてしまうよと心の中で思いながら娘さんへ電話します。

30分後ぞろぞろと家族が病院に到着、亡くなったおばあちゃんをみてお孫さんが鼻をすすり泣いています。この瞬間の看護師の立ち位置はどうしたらいいんだろう。なんて家族に声をかけたら。。。

看護師をして何年もたちますが、この瞬間の私の気持ちはずっと同じです。

「お母様をきれいにさせていただいてもいいですか?」

私たちはここから死後の処置をします。何年たっても亡くなった方の遺体をさわるのは壊れ物をさわるような感覚に陥ります。そして目の奥に涙をためている自分に気づきます。亡くなった患者さんの顔に化粧をしながら「よくがんばったね。よくがんばったね。」と毎回声をかけられずにいられない。

死後の処置が終わり死に化粧をしたお母さんをみて涙をためた娘さんが発した第一声。

「お母さん!どうしちゃったの?」
夕方まで苦しんでいたお母さんが安らかな顔をして薄化粧をし眠っているのをみて、そのあまりの表情の違いにびっくりされたようです。

「母が生前に着ていたお気にいりのワンピースなんです。お母さん、きれいだね。がんばったね。母は父が今年に亡くなってから一緒にむこうに行きたいと言っていました。父に会いたかったのかもしれません。」

私はその言葉を聞いてマスクで涙を隠していました。最後着せたいものがあるという娘さんからのリクエスト。私と同僚は患者さんにそのお気に入りのワンピースを着せました。

私は看護師です。この仕事を辞めたいと思う一つの理由をあげるならあまりにも人の死が日常的すぎること。そんな人の死に鈍感になっている自分がいることに恐ろしくなるときもあります。

死というのは患者さん、家族にとっても人生の大きなターニングポイント。
そんなターニングポイントにかかわるこの職業は厳かな仕事だと思っています。

看護師としていつか病院に働くことがあるのか、はたまたもう二度と働くことはないのか。
何とも不思議な気持ちに陥りました。

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